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評者◆三上治
原発と科学技術について、問われるべき問題とは何か──科学技術に関する近代的な考えに疑念が出ているのが現在ではないのか
No.3097 ・ 2013年02月09日




(5)科学技術は後戻りできない、と吉本は語った

 原発事故に際しても吉本は従来の考えを変えなかったのであろうか。原発事故という新しい事態で考えは何ら変わらなかったのであろうか。原発の危険性の認識の難しさは、経験の問題として先に取り上げた。この点は吉本もアインシュタインを例にして論じている。例の『週刊新潮』の記事「「反原発」で猿になる!」においてである。この記事は原発についての吉本の考えを述べたものであったが、その中で原子力の危険の認識の難しさを語っている。
 よく知られているように、アインシュタインは当初は原爆の開発に賛成するが、広島や長崎の被害の大きさから態度を変える。「あれだけの業績をあげてきた科学者でさえ、とことんまで想定できたか疑わしい。今回の原発事故も同じで天災とか人災とか言われていますが、やはり危険を予想できなかった。つまり、人間は新技術を開発する過程で危険極まりないものを作ってしまう大矛盾を抱えているのです」(『週刊新潮』より)。
 アインシュタインは原爆の推進から反対に態度を変えた。原発事故で吉本も従来の態度を変え得たこともあり得たはずだ。だが、彼はこの記事の中でも従来の考えを繰り返す。「しかし、それでも科学技術や知識というものはいったん手にいれたら元に押し戻すことはできない。どんなに危なくて退廃的であっても否定することはできないのです。それ以上のものを作ったり考え出すしか道はない。それを反核・反原発の人たちは理解していないのです」(同前)。
 科学技術は後戻りできない。原発からの撤退は、人類が培った核開発の技術も全て無意味にしてしまう。そして原発を止めてしまうのではなく、完璧に近い放射能に対する防御策を講じることを提起する。吉本が繰り返し述べているのは、原子力エネルギーに害があるのであればその防御策を同時に発展させるのが根本問題であり、止めるのは科学的でないということだ。これは彼の強固な科学技術についての考えであり、福島の事故を目にしても変わらなかったものである。
 僕はこうした考えを取らない。人間の生み出した科学技術を人間の意志では止められないとは考えない。また、ある領域で科学技術の進展をとどめるのを人間の退化だとも思わない。もし核生成の解放が科学技術だから止められないというのであれば、核兵器も同じことになるのではないか。科学技術は発展するし、止めようがないように見えるけれども、原子力工学、遺伝子工学、金融工学など防御策を講じればいいということではすまない段階にあるのではないか。
 科学技術は止められない、科学技術は無限に発展するという近代的な考えに疑念が出てきているのが現在ではないかと思う。原発事故の衝動がもたらしているのはこのことである。こういう人類的な課題を原発事故は象徴しているところがあるのだ。

(6)科学技術の存続と原発の存続は直接には結びつかない

 ここに人類史の究極の課題が出てきており、核生成の解放はその問題である。科学や技術についての考えが対象である時、近代的な科学についてのこれまでの考えにとどまるわけにはいかないのではないか。とことん考えるという課題の中に科学技術の問題があることは確かであり、それを考え抜くということと、近代的な科学についての考えを守るのとは違うことではないのか。この点で僕は吉本に違和がある。この吉本の考えは、エコロジーについての考えに非常によく出ているので、その問題について述べる時により詳しく触れることになると思う。ただ、吉本は科学技術者であった体験から、そこから撤退することの難しさを語っている。
 未公表の文章を偶然に読む機会があって、科学者の内的衝動や欲望も含めた観点から、核生成の解放という核技術を手放しにくいことを洞察している。吉本が科学技術の観点という時は、それに関わる科学技術者の内在性も問題にしている。技術者や学者の悪いところも指摘して興味深いのであるが、いつの日かこの未公表の文章が公表されたらと思う。吉本の考えが肯定されるにせよ、否定されるにせよ、もう少し深いところで検討されると思う。
 吉本の見解は、原発の是非の問題を科学技術の是非の問題に収斂させ過ぎてしまう。現在の原発の問題が、原子力の産業化の問題であることがあまり語られない。原発の存続や是非の大きな問題は、原子力の産業化である。原子力の平和利用という観点から進められてきた産業化には、産業発展に不可欠なエネルギーということがあった。そういう考えが社会的に流布されてきたのであり、それは浸透もしていた。安全神話が張りついていたとはいえ、原子力エネルギーの社会的(産業的)な必要性が浸透していた。仮に吉本の考えを認めたにしても、科学技術の存続と原発の存続は直接には結びつかない。原発の存続の範囲や規模が論じられなければならないからだ。日本列島にこれだけ原発が存在してしまった理由は、産業の発展のために原子力エネルギーを産業化する必要があると見なされてきたからであり、これはまた今、問われなければならない問題である。産業発展は高度成長と結びついてきたのであり、その転換が問われているのが現在である。原子力エネルギーの産業化の転換(撤退)はこれと深く結びついている。
 この点でいえば、かつて産業経済上で原子力エネルギーの産業化を促していた根拠は薄弱になりつつある。現在の原発の存続の理由は、これまでの原発投資で形成されてきた既得権益のためである。独占的な電気業界と官僚(原子力ムラ)や政界の一部で出来上がっている既得権益の維持がその理由である。産業的な発展という社会的根拠は失われ、かつては見えなかった社会的負荷もはっきりとしてきたのである。吉本は原発に平衡状態で防御装置を提起する。これは現在では正論であり、実現性の薄いものであることを吉本も認めているが、こんなことは基本的には衰退期に入った原発をめぐる動きの中では出来ないことだ。原発は撤退するにも膨大な金がかかるし、科学技術も必要である。防御装置は撤退のためにこそ必要であるというのが実際ではないか。
(評論家)
(つづく)







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