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評者◆秋竜山
時計をめぐる大哲学、の巻
No.3095 ・ 2013年01月26日




 茶の間の柱時計が、一年近く七、八分遅れて時を刻んでいる。自然と遅れたのである。そのことを家族のものは知っているし、そういう時計だと思って誰一人として直すけはいはない。むしろ、それでいいのである。頭の中で七、八分進めて時計をみればよいのだから。もし、勝手に直されたら、直されたことを知らないものはどうなるか。わが家の時間的生活はメチャクチャになってしまうだろう。そして、今度、私の腕時計に突如四分程度の狂いが生じた。そこで、私は大発見した。腕時計と柱時計とは違うということであった。柱時計の場合は、あんがいと容易な時間のとらえかたであるが、腕時計となると、たとえ一分でも進んだり遅れたりしては時計の意味というか、その時計に信用がおけないことになる。外出して知らない人に、たんびに「今、何時でしょうか」なんて聞く時代ではないだろう。信用できない、進んでいるのか遅れているのか、わからない時計を腕にしてなんになろうか。織田一郎『改訂新版 時計の針はなぜ右回りなのか』(草思社文庫、本体六八〇円)を書店でみつけた。「改訂新版」というからには過去に読んだことがあったということである。でも、又買わせてしまうだけの力があった。「改訂新版」と、いうことは本の内容に時間的狂いが生じたからかしら。そーだ、思い出した。この前の時は、
 〈フランスのある心理学者は、人間の心理的な時間は、年をとるにつれて短くなり(時間が早く進む)、年齢の逆数(たとえば5の逆数は1/5)に比例すると主張している。たとえば五〇歳の人の一年間は、一〇歳の時の五分の一にしか感じられない、との理論である。つまり、一〇歳の人間にとって一年は過去の全人生の一〇分の一だが、五〇歳の人間にとっては五〇分の一になり、そのぶん、時間が早く進むように感じられる〉(本書より)
 そのようなことを記録したことを思い出した。今回あらためてページをめくる。〈ヒトはなぜ時計をするのか〉という項目がある。この一言だけでも大哲学であると思えてくる。「便利だから腕時計をするに決まっているだろう」という答えではヨーチな答えとしかいえないのだろうか。〈腕時計はなぜ左腕にするのか〉なんて項目もある。「そんなこと当たり前だろ」も答えになっていないだろうか。あんまり、そんなこと考えたこともなかった。からこそ、いきなり「なぜ」と提起されると、ビックリしてしまうのである。〈文字盤はなぜ0から始まらないのか〉〈銀座の時計塔のヒミツ〉とか〈なぜ、時計店にはメガネの兼業店が多いのか〉とか。〈時間の貸し借りはどこまで可能か〉とか。私はなにげなく腕時計をしているが、たとえば日本中どこへいっても誰もが同じ時間の腕時計をしているということである。当然のことかもしれないが、いっせいに右へならえ!! という形で同じ腕時計をしているということが驚嘆すべきことではなかろうか。なんて、これが私の悪いクセである。壁にかけられてある絵の額が、右や左にかたむくことなくかけられてある。世界中で。それがすごいと感動したことと同じだ。今、私は自分の腕時計で時間をみる。この瞬間、同じような人がどれほどいるのか。これも感動である。







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