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評者◆星真一(紀伊國屋書店梅田本店、大阪府大阪市)
かすかな声に耳を傾けること──宮下奈都著『終わらない歌』(本体1300円・実業之日本社)
No.3095 ・ 2013年01月26日




 たとえば二一七ページの、こんなフレーズから始めてみよう。
 「音が聞こえる。かすかな音がずっと鳴っている。ヴィーーン。私の身体の奥でモーターが回り続けている」
 親友の千夏に誘われてミュージカルの舞台に立つことを決意した玲のなかでモーターのスイッチが入る。熱い血潮が身体を巡る。ヴィーーン。鳴り止まない音は、本を読み終えてページを閉じた後もずっと、私の耳に残り続ける。登場人物の傍らで励まし続ける、作者の声のように。いや、はじめて宮下さんの小説を読んだときから、いつだって、励まされているのは私だったのかもしれない。
 宮下奈都の小説を読むというのは、物語の表面をなぞることではなく、そういうかすかな声に耳を傾けることだ。遠い霧の彼方から響いて灯台の位置を知らせてくれる霧笛のように、孤独な、けれどもあたたかい声。
 『終わらない歌』は二〇〇九年に刊行された『よろこびの歌』の続篇だ。音大附属高校の受験に失敗して、新設女子高の普通科に進学した御木元玲という少女が、合唱コンクールの指揮者に推薦されたことをきっかけにクラスメイトたちと心を通わせていく、そんなストーリーの周囲に、少女たちの孤独や嫉妬、見えない未来に対する希望と焦りとを散りばめた美しい青春群像劇だった。『終わらない歌』では三年後、二十歳になった彼女たちの「いま」が描かれている。
 音大に進学して声楽を学ぶ玲は才能ある同級生たちのなかで自分の歌に価値を見いだせず、焦り、苦しんでいる。親友の千夏ははじめて観たミュージカルの舞台に衝撃を受けて女優を目指すものの、なかなかオーディションに受からず下積みの日々。
 一話ごとに主人公を変える短篇連作のスタイルで女子高のクラスをプリズムのように描いた前作とくらべ、手法は変わらないけれど、今作は玲と千夏の物語に集約されてきた感じがある。クールなようで内面に屈託を抱えこみがちな玲と、いつでも全力疾走の千夏の組み合わせがストーリーを動かす。読者のなかにも千夏のファンは多い。
 冒頭ちかく、玲と千夏が待ち合わせる場面。
 「いつも千夏は走ってくるのだ。約束の時間に遅刻しそうになって、息を切らせてやってくる。その上気した頬を、私はきれいだと思う。だらだらして遅れるのではないことも知っている。持ち時間ぎりぎりめいっぱいまでできるだけのことをして走ってくる。千夏はそういう子だ」(一六ページ)
 前作を読んでいなくとも、この一節で千夏がどんな子なのかだけでなく、玲と千夏の関係性までも把握できるだろう。なにより「ぎりぎりめいっぱいまでできるだけのことをして」というひらがなばかり一息のフレーズが千夏にぴったり似合っている。男の子との待ち合わせかと思わせておいて、こういう出会いをさらっと描いてしまう宮下さんはほんとにうまい。
 こんな千夏が怒ったように「世の中そんなに甘くないとかってさ、もうほんっとにつまらない台詞だと思うよ」とつぶやいたことで、煮えきらなかった玲のモーターは動き出す。ぎゅっと引きしぼられた物語が、最後の二篇で一気に跳びはねるのが快感だ。玲と千夏が同じ舞台に立ったとき、私たちもいっしょにスポットライトの熱を感じ、それでも身体の表面は冷たく鳥肌がたつ、あの興奮を感じ、ヴィーーンというモーターの音を聞くのだ。
 本を読み終えてページを閉じる。物語は輝かしい未来に向け開かれている。けれども、彼女たちの人生はまだ終わらない。あと何度も挫け、焦り、くやし涙を流すことだろう。いつかまた彼女たちに会いたい。三年後、五年後の玲と千夏を見たい。そのとき私たちはまた、「終わらない歌」を歌うだろう。







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