書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆白川浩介(オリオン書房サザン店、東京都立川市)
都合よく書き換えた記憶の醜さ──ジュリアン・バーンズ著『終わりの感覚』(土屋政雄訳、本体1700円・新潮社)
No.3095 ・ 2013年01月26日




 「人生も残り少なくなれば、誰でも少しは休めると思う。休む権利があるとさえ思う。私もそうだった。だが、そんなとき、人生に褒美が用意されていると思ったら大間違いだとわかりはじめる。」
 離婚した妻との間に生まれた娘も独り立ちし、孫もでき、老境にさしかかった主人公トニーのもとにある日、遺産分与の申し出の封書が届く。送り主は、主人公が学生時代に交際していた女性・ベロニカの母親。だが主人公は母親とは一度しか会ったことがない。なぜ彼女は、一度会ったきりの娘の交際相手だった男という、ほとんど見ず知らずに近い主人公に少なからぬ金額を遺したのか。トニーはその謎を解くため、過去を辿ってついにはかつての交際相手と再会する。そこでわかった意外すぎる事実……というミステリーの部分がこの小説を読み進める大きなエンジンだが、もちろんテーマは謎解きだけではない。
 トニーはベロニカとの過去を振り返る過程で、それまで認識していた「ベロニカとの関係バージョン(長年、自分に語りつづけてきたバージョン)は、当時の自分が必要としていたバージョンにほかならない」ことに気づく。実はベロニカはトニーと別れた後、トニーの親友だった男と交際していて、そしてその男は謎の自殺を遂げていたのだった。その自殺のきっかけの一つでもあった手紙、トニーが別れた後にベロニカに送った手紙の内容ですら、トニーは忘れていた。「悔恨の主な特徴はもう何もできないことだ」などと言い切っていたトニーもベロニカと久しぶりに再会して手紙の内容を確認し、大いに悔悟する。が、そのあとも、トニーはベロニカとの関係を「誤解」し続ける。誤解をしては謝罪をし、またベロニカに会ってまた誤解をして、と繰り返したあとにやっとトニーは「真相」に辿りつく。
 老いることにもし醜さがあるのだとすれば、それは生化学的な変化故ではなく自らにとって都合がいいように書き換えられた記憶で塗り固められた醜さなのかもしれない。だがある瞬間に記憶は真実を取り戻し、真実は復讐をする。周到な作者は、そういったテーマを若き日の主人公たちに、歴史の授業内で語らせてもいる。曰く、「歴史とは勝者の嘘の塊」。曰く、「歴史とは敗者の自己欺瞞の塊」。曰く、「歴史とは不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信」。曰く、「歴史とは生のオニオンサンドイッチ」。
 主人公の自分語りは時に滑稽で、背後から容赦ない作者の糾弾の雰囲気も感じられるが、私には最後のテーマがこの小説には一番ふさわしいように思える。剥いても剥いても「真相」には辿りつけないが、確実に存在するのが「歴史」である。昔愛した女、失った友への主人公の強い悔悟の念と混沌を抱いたままこの小説は幕を閉じるが、それでもどこか「人生に恋している」ような甘さを感じてしまうのは、『フローベールの鸚鵡』『10 1/2章で書かれた世界の歴史』のような一筋縄ではいかない傑作をものにしているバーンズに幻惑されているということなのだろうか。







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約