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評者◆黒崎政男
人間中心主義が崩壊した今、哲学的思考が生きてくる──人間は根本的にカオスである世界を支配できない
今を生きるための「哲学的思考」――“想定外の世界”で本質を見抜く11の講義
黒崎政男
No.3095 ・ 2013年01月26日




 哲学者の黒崎政男氏が、『今を生きるための「哲学的思考」』を上梓した。「哲学」と言っても決してしかつめらしい語り口の本ではなく、「ノリとしてはビジネス書。自分の著作の中でも異色の書」。教鞭を取る東京女子大学での講義を基にしていることもあり、まるで授業を受けているような気分で読める。しかし侮ってはいけない。具体例を挙げながら進む議論の内容はとても深いのだ。
 「哲学とは「そもそも」という問いである」という第一講から始まる。「かつては常識に囚われるなというのが売り言葉だった時代があったわけですが、今は囚われるべき常識が崩壊してしまっている。「それ常識でしょ?」という言葉自体が既に終わっていて、自分の位置を測るための座標軸が崩れてしまっているわけです。だから「そもそも」という問いが生きてくるんですね」。そんな思考方法の実践としてデジタル・ネットワークと〈私〉の関係、三・一一以後の世界を考察する全一一講の構成となっている。
 「当初は、電子メディアに囲まれた環境の中で、〈私〉や対人関係がどのように変容するかを論じている第二部の内容が中心になる予定でした。しかし東日本大震災が起きたことで、〝フクシマ以後〟を哲学的に考えるという第三部が付加され、進めているうちに初学者向けの哲学入門を導入部分に持ってきたほうがいいと思い、三部構成になりました」
 コンピュータ抜きにして私たちの生活は成立しない今、人文系の学問は遅れをとっているように見える。電子メディアにも造詣の深い氏は、「人文系の学問が語りづらくなっているのは、テクノロジーに対する感度の甘さゆえではないか」と指摘。一方で、本書を通じて、テクノロジーが未発達だった時代の哲学者のほうがむしろ〝高感度〟であったこと、即ちその先見性が浮き彫りされるのも読みどころの一つだ。
 「主体の多様化や、ヒュームの言う「知覚の束」などといった事柄が次々と現実のものとなってしまった。これは非常に面白い。過去の思想は、確実に〈今〉を捉えていたわけです。これまでの主体に関する議論は、特に八〇年代の初頭くらいまでは、論理的なお遊び、単なる思考実験のように受け止められることが多かった。フーコーの「人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するだろう」、あるいはロラン・バルトの「作者の死」という言葉もそうです。かつては非常に抽象的に響きました。しかしデジタル的な視点から見ると、とてもよく分かるんですね。私は日記をつけているのですが、二〇〇三年頃からはデジカメの写真が一緒になっている〝絵日記〟のような体裁になっています。時間があるときは、それをずーっと見ることで自己確認をしています。〈私とは何か〉を考える際に、一般的なレベルでもコンピュータという媒介は不可欠になってきています」
 哲学者たちの議論の水準に、ようやく現実が追いついてきた。そう言ってもいいのかもしれない。しかしその現実とは、もはや人間にはコントロール不可能なものでもある。第三部では、三・一一が、その不可能性を明瞭に示したことについて論じている。
 「人間は世界を支配・統御することはできない。そうである以上、主体としての人間、人間中心主義という発想は既に崩れ去ったと見るべきでしょう。つまり世界の根本的なあり方は、「カオス」だということです。例えばカントの現象と物自体という発想は、確かに問題はあるけれども、この現実の凄まじい速度の中では、むしろしっくりくる。中でもニーチェがいちばん好例だと思います。〝ニヒリズム〟や〝あらゆる価値の価値転換〟、即ち価値という発想自体が無意味化するということですが、今の世の中をぴたりと言い当てている。優れた哲学者は、このようにして必ずクリアに物事が見えていたわけです」
 「三・一一以後」に喧伝された「想定外」という言葉。本書はそこに隠された、人間はあらゆる物事を支配できるという発想(=例えばハイデガーの言う「世界像」)をあぶり出し、〈世界〉に張り付けられた〝思い込み〟のフィルムを丁寧にはがしていく。そこに人間の不全性ともいうべきニュアンスを感じ取ってしまう向きもあるかもしれない。しかしその感覚自体が、旧来の「世界像」に慣れ親しんでいる結果だと氏は考える。私たちが見ている世界は、世界そのもの(=「物自体」)ではなく「世界像」(=「現象」)に過ぎないと気付くこと。その気付きこそが、「哲学する」ことなのだと教えてくれている。読後、身近な物事に「そもそも」という疑問をぶつけてみるといい。読む前よりも、ちょっぴり面白いと思えてくるはずだ。 

▲黒崎政男(くろさき・まさお)氏=東京女子大学現代教養学部人文学科哲学専攻教授、哲学者。1954年仙台市生まれ。東京大学大学院哲学専攻博士課程修了。カント哲学が専門。『哲学者クロサキの哲学する骨董』(淡交社)など著書多数。







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