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評者◆渡辺啓市、(ブックスなにわ古川店、宮城県大崎市)
読後、無性に山に登りたくなった──樋口明雄著『天空の犬』(本体1800円・徳間書店)
No.3094 ・ 2013年01月19日




 数年前から読んだ本より積読本の数が上回ってしまって、その状況は酷くなる一方だ。愛妻から「あなたは本を読むのが好きなのではなくて、本を買うことが好きなのね」と言われても、ひと言も言い返すことが出来ない。何故なら自信をもって言えるが、これら積読本を制覇することは、私の残り少ない読書人生では不可能だからだ。
 そんな状況下で再読したくなる本に出会うことは、嬉しくもあり恨めしくもありだ。四方の壁に積み重ねられた未読本の山に囲まれながら、それでも再読してしまったのが本書だ。
 著者の樋口明雄には『狼は瞑らない』『光の山脈』などの、山で生きる男たちの熱い情熱を描いた傑作があるが、今回の作品はこの作家にしては珍しく女性を主人公に据えた山岳救助の物語。男だけの世界は骨太で力強さにあふれていたが、そこに女性が登場したことで、物語に爽やかさが生まれ、素晴らしい作品になった。
 南アルプス署の新人山岳救助隊員星野夏実は、研修員時代に派遣された東日本大震災の被災地体験を心の傷として負っていた。
 津波による情け容赦ない破壊で沼沢地のように水に埋もれた町。泥にまみれた遺体の山。見渡す限りの瓦礫。その中での救助活動で、生まれつき共感覚(二万五千人に一人の、他人の感情を色で感じられる特殊能力)を持つ彼女は、大きな精神的ダメージを受けたのだ。
 二ヶ月の心療内科での入院、三ヶ月のリハビリを経て、相棒のボーダーコリーの救助犬メイとともに北岳派出所に彼女が着任する場面がいい。
 悲惨な海岸沿いの津波の痕跡描写から一転、清冽な山岳風景の美しさ。初々しい夏実を迎える、むさ苦しいが気のいい救助隊の面々。P92の早朝の山並みに一瞬、朝陽が輝くシーンは夏実の心情を照らして、読了後も胸に深く残る。
 晴天の山頂の大絶景が少しずつ傷ついた夏実の心を癒していき、また厳しい訓練に何度も音を上げそうになりながら、ひたむきな情熱で食らいついてくる彼女を、周囲の仲間たちも受け容れ始める。
 初めての救助成功で、彼女が自分の仕事に喜びと誇りを持てるようになった時、自分のミスで救助失敗した過去を持つ同僚が、彼女にかける言葉が最高にいいのだが、それは読んでからのお楽しみ。
 後半、ある正体不明の登山者が北岳付近に出没するあたりで、山に不穏な空気が流れ出し、物語は意外な展開を見せる。行方不明になった一行を、居残りの夏実が単独で救助に向かい、それを知った救助隊の面々が、悪天候の中、すぐに後を追う姿は、懸命に人の生死に向き合ってきた彼らだからこそ胸を打つ。近道ばかりの要領のいい生き方では得ることのない、誠実な情熱が横溢する場面に何度も胸が熱くなった。
 男の中の男を描くのが得意な著者だが、女性主人公の造型も深い。明るく元気で健気な夏実と、正反対の先輩隊員静奈を配置し、静奈の言動との対比で、夏実の人物像を巧みに描き出している。また相棒の救助犬のメイが、ストーリーの要所でうまく絡み、鳶色の瞳の可愛らしさで主人公と読者を癒してくれる。
 強固な仲間同士の絆に感動し、美しい山の描写に圧倒され、読後無性に山に登りたくなった。しかしだ。日頃怠惰な生活を送っている私はその前に、目の前の積読本の山に挑まねばならない。







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