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評者◆別役 実
私の身のまわり
No.3093 ・ 2013年01月12日




 私は現在、家内と二人で杉並区の貸家に住んでいる。つい最近まで「しげる」という名の猫がいたが、腹に水の溜まる病気になって、死んでしまった。一人娘がどこかから拾ってきたもので、彼女が結婚するに当たって、亭主が猫アレルギーだということらしく、置いていったのである。病気になってからは、近所の犬猫病院に連れてゆき、何度か通ったものの、死んだ後は庭に埋めた。
 私たちはここに住みついて三十年以上になり、まだ出て行く気になれないのは、そういうこともあるのかもしれない。なかなか住みやすいところ、ということもある。すぐ近所に「大宮八幡」という大きな神社があり、そのかたわらを「善福寺川」が流れていて、緑地帯が広がっている。私は利用したことがないものの、釣り堀もあり、川にそって桜並木が続いていて、私はよく自転車でそのあたりを散歩した。
 正月の初詣も、最近は混むので時にやめたりもするが、たいていは「大宮八幡」へ行くのである。ただし、家内に言わせると、この土地の氏神様は「永福稲荷」なんだそうで、元気がある時は、そこから井ノ頭通りを越えて、「神田川」近くの「お稲荷さま」まで歩く。こちらの方は、「八幡さま」と違って空いているので、難なく神社前までたどり着くことが出来る。
 私たちの住まいは、方南通りと井ノ頭通りの中間あたりにあるのだが、もう少し視野を広げると、前述した「善福寺川」と「神田川」の中間、ということになる。そして、「善福寺川」の川端を自転車で走るように、現在でこそ体力に自信がなくなってしなくなったが、「神田川」の川端も、私はよく自転車で走っていた。どちらの川の両側にも、自転車で走るにふさわしい道があり、私が走るのはたいてい夜だったが、それでも、ジョギングをしたり、犬の散歩をしたりする人が、かなりいたのである。ところどころにベンチがあり、そこに腰掛けて一服するのも、なかなかいいものだった。
 ただし、「善福寺川」へ行くにも「神田川」へ行くにも、自宅からは坂を下ることになり、したがって帰りには、当然ながらかなりきついその坂を上らねばならず、それが苦の種だった。一度、散歩の途中で自転車がパンクし、道中引いて帰ることになり、往生したことをよく覚えている。いっそのこと、自転車など棄てて帰ろうかと思ったほどだ。
 もよりの駅は、井の頭線の西永福である。ここから商店街を通って、井ノ頭通りを越えると、七、八分で帰ることが出来る。この前に住んでいた広尾では、駅から二十分以上歩かなければならなかったので、住みはじめた当時はずいぶん楽になったと思ったが、最近体調を崩して歩くのが遅くなり、先日はかってみたら、やはり二十分くらいかかるようになってしまった。
 商店街は、よく店が変わるので商売がしづらいところなのかもしれないが、コンビニエンス・ストアと薬屋が、やたらに多いのが目立つ、と言えるだろう。コンビニは駅の南口にひとつ、北口の踏切際にひとつ、商店街を抜けて井ノ頭通りに出たところにひとつ、井ノ頭通りと方南通りがまじわるところにひとつ、井ノ頭通りを永福町駅の方へ少し歩いたところにひとつと、これだけある。その他に、大きなスーパー・マーケットがひとつあるのである。薬屋はこれ以上あって、とても数え切れないのでやめるが、「あんなにあって、それぞれやっていけるのだろうか」と、家内と時々話したりしているのだ。
 この商店街とコンビニとスーパーで、たいていの買物は用が足りるのだが、それでも時々は、吉祥寺か渋谷へ買物に出かけることがある。ひとつには「本屋がない」ということであり、以前には駅前に一軒あったのがつぶれ、簡単な雑誌の類でも、他の町へ出掛けなくてはならなくなったのである。
 もうひとつは「おいしいパン屋」がないことである。この商店街はよく店が変わると前述したが、パン屋がその最たるものと言えよう。ちょっと気のきいたパン屋が出来て、そこに通いはじめると、すぐにつぶれてなくなってしまうのである。我が家は、朝食がパンというだけでなくパン食が多く、そのうえ好みにうるさく、広尾にいたころは「フロインドリーブ」というドイツ系のパン屋に通いつめたように、常に一ケ所、そうした店がないといけない。
 渋谷か吉祥寺に出れば、「サンジェルマン」とか(最近吉祥寺には「ドンク」も出来た)それなりのパン屋があり、「明日の朝のトースト用のパンがない」というような場合は近くのコンビニで用を済ますが、ちょっと余裕がある時は、そこまで足を運ぶのである。
 駅の近くの、商店街をちょっと入ったところに「柳沢医院」があり、家内も私も、何かあるとそこに行くことにしている。私の場合はぜん息の薬を処方してもらうために通いはじめたのであるが、現在は頻尿と便秘(これはつきものらしい)の薬と、睡眠薬をもらうために、少なくとも一ケ月に一回はお世話になっている。
 私がパーキンソン氏病症候群になって、阿佐谷の「河北病院」へ通うようになったのも、「柳沢医院」の紹介によるものである。ともかく、私たちにとっては、なくてはならない医院なのだ。ここで処方された薬は、これも商店街の踏切近くの「山本薬局」で買うことにしている。前述したように、薬屋はこれ以外にも「これでもか」というほどあるのだが、ここが一番古くからの店のようである。
 商店街にあるおなじみの店としては、井ノ頭通りに近いところの「光進電機」という電気屋も、そのひとつと言えよう。電気製品はほぼこの店で買うことにしているし、私も家内も電気に弱いので、スイッチが効かなくなったというような、ちょっとした故障の場合も、この店の若い店主に来てもらったりしている。
 この他にもう一軒、よく行く店として挙げなければならないのは、クリーニング屋だろうか。商店街の中ほどにあり、元気のいい世話好きらしい小母さんたちが働いていて、私も家内に頼まれて、シャツやらズボンやらを持ち込むので、顔なじみになっており、体調を崩した時など、「やせましたね」と言われたりする。
 そうだ、もう一軒、書いておかなければいけない店があった。理髪店である。私は、広尾に住んでいたころからのおなじみで、恵比寿に近い理髪店に、西永福に越してからも、はるばる通っていたのだが、今年になって体調を崩して以来、そこまで出掛けてゆくことが出来なくなり、やむなくこの商店街の中にある一軒に通いはじめた。御主人が大きな猫を飼っていて、時々その猫にヒモをつけて散歩していたので、以前から注目していたのであるが、その店にお世話になりはじめたのである。とは言っても、私の頭はそれほど難しい注文をするのではない。テッペンのあたりを少し長めにして、あとはほとんど丸坊主にしてもらうのである。
 喫茶店は、西永福の駅の南口に、「ビーンズ」と「さくら」というのが二軒並んでおり、商店街の中ほどに、「ドトール」があり、井ノ頭通りと方南通りの間に「すかんぽ」という店がある。いずれも「煙草の吸える店」であるのは言うまでもない。体力がある時分は、地元の喫茶店に行くことはほとんどなく、たいてい吉祥寺か、渋谷か、新宿の店まで足を運んでいたのであるが、歩くのが不自由になってからは、そうもいかなくなった。
 外食は、ほおずき市とお酉様で浅草へ行った場合、吉原大門の近くの「土手の伊勢屋」という天ぷら屋へ寄るのを通例としている以外、特に行きつけの店はない。近所では、井ノ頭通りと方南通りの間にあるインド料理屋に何回か行ったくらいだろうか。
 出前は、井ノ頭通りにある「佐野屋」といううなぎ屋と、確か明大前あたりにあると思われる「サルヴァトーレ」というピザ屋を、よく利用する。以前は、利用する寿司屋も一軒あったのであるが、出前をしなくなって、以後はデパートの地下あたりで買ってくるようになった。
 家内の両親も私の両親も既に亡くなって、お墓は、家内の方は都内の三田に、私の方は鎌倉にある。三田の方は、寺の境内に古くからあるもので先祖代々のものであるが、鎌倉の方は「鎌倉霊園」という新しく出来た公園墓地で、父の代からのものである。したがって父以前の骨はまだ高知にあり、その墓地の世話は、当地の「墓地清掃会社」に頼んでいるのである。
 この歳になると時々、「墓地を買いませんか」という電話がかかってくるが、我が家の場合はそういうわけで「余って」いる。実は高知にあるお墓について、「鎌倉に移したらどうか」という話が何度かあったのだが、手続きがかなり大変そうだということもあり、また、高知で生まれそこで生活して亡くなった人を、縁もゆかりもない鎌倉へ移すのもどうか、ということで、そのままになっているのである。
 私と私の兄弟が死んだら、もしかしたら無縁仏になるかもしれないが、それでも鎌倉に埋まるよりは、高知に埋まっている方がいいのではないかと、私は考えている。それは私自身が、ひそかに「散骨」というものに憧れているせいかもしれない。「どこにどう捨ててもらいたい」という希望が、まだ定まっているわけではないが、「水の流れ」とか「風の行方」とかに死を委ねるというのが、自然ではないかと考えているのである。
(劇作家)







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