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評者◆秋竜山
語り口も名調子、の巻
No.3092 ・ 2013年01月01日




 「沓掛時次郎」そして、「瞼の母」そして、「一本刀土俵入」。もう、ダメ。泣けてきてしまう。その涙も、日本人の涙であり、正直な涙である。涙にもさまざまある。しかし、「瞼の母」の涙は、母を想う涙として、なんとも恋しいものがある。山折哲雄『義理と人情――長谷川伸と日本人のこころ』(新潮選書、本体一一〇〇円)を読む。長谷川伸とは、このような人物であった!! と、いう作品を通しての長谷川伸論である。やっぱりなァ!! と、思う。長谷川伸を語る時、作品が紹介されるわけだが、その語り口が、作品のセリフの名調子とあいまって、語り口も名調子になってしまうようだ。
 〈昭和十年ごろのことだったという。十七代目中村勘三郎が、まだ「もしほ」と称していたころ、「瞼の母」の主役・番場の忠太郎を演ずることになった。勘三郎は当時、女形ばかりをやっていたけれども、「瞼の母」の舞台ではじめて立役になり、それ以来数えきれないほど忠太郎を演ずるようになった。ある日のこと、作者がその舞台を見ていた。例の、生みの母のおはまのいる料理茶屋「水熊」の前で、忠太郎が中へ入ろうか、やめにしようかと躊躇する場面がでてくる。そのときの勘三郎の演技をじっと凝視ていた長谷川伸が、突然、声をあげて泣きだした。そのときのことを後年になって思いおこした勘三郎が、つぎのように書いている。‐先生ご自身、母のことでは幼いころからいろいろつらい悲しいご体験をお持ちなので、胸にこみ上げるものを抑えることができなかったのでしょう。先生のお気もちが、よくわかるような気がいたします。(略)(中村勘三郎「先生のこと」、「長谷川伸全集」付録月報No1.昭和46年3月)〉(本書より)
 長谷川伸は幼いころ、実の母親が離婚して家を出た、という。「瞼の母」の名場面、ここぞ泣かずにはいられまい。泣かなかったら日本人ではない。日本人の涙を忘れてしまったのか。と、いいたくなるくらいだ(ちょっと、いい過ぎかな)。
 〈おはま だれにしても女親は我が子を思わずにいるものかね。だがねえ、我が子にもよりけりだ‐忠太郎さん、お前さんも親を尋ねるなら、何故堅気になっていないのだえ。 忠太郎 おかみさん、そのお指図は辞退すらあ。親に放れた小僧ッ子がグレたと叱るは少し無理。堅気になるのは遅蒔きでござんす。ヤクザ渡世の古沼へ足も脛まで突ッ込んで、洗ったってもう落ちッこねえ旅にん癖がついてしまって、何の今更堅気になれよう。よし、堅気で辛抱したとて、喜んでくれる人でもあることか裸一貫たった一人じゃござんせんか。〉(「長谷川伸全集」第十五巻、二八頁)(本書より)
 忠太郎の啖呵に、ジーンときてしまう。そして、
 〈つぶやくようにいう忠太郎の最後の台詞…。 忠太郎 (略)俺ぁ厭だ――厭だ――厭だ――だれが会ってやるものか。俺ぁ、こう上下の瞼を合せ、じいッと考えてりゃあ、逢わねえ昔のおッかさんの俤が出てくるんだ――それでいいんだ。逢いたくなったら俺ぁ、眼をつぶろうよ。〉(「長谷川伸全集」第十五巻、三三‐三四頁)(本書より)
 そして、自分はどーなのかと、眼をつぶってみる。おッかさんの俤が出てくる。そういえば今まで、母に逢いたくて眼をつぶったことなどなかった。親不孝者なのかしら。







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