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評者◆別役 実
私にとっての演劇
No.3089 ・ 2012年12月08日




 時々、はじめて書いた原稿の依頼主から、「肩書きは何にしましょう」と問い合わせが来ることがある。私はおおむね、「劇作家にして下さい」と言うことにしている。
 いつか、犯罪についてのエッセイを書き、同様の問い合わせがあった時、「犯罪評論家にして下さい」と言ったことがあった。かねてより、その肩書きを使ってみたいと考えていたのである。しかし、「わかりました」と言われて電話は切れたものの、折り返し電話があって、「編集長に劇作家ではないかと言われておりますが」と言うのである。当時私は犯罪評論も書いており、そこでひとこと反論してもよかったのだが、「あ、いいです。劇作家にして下さい」と折れた。
 税金の申告用紙には「文筆業」と書いている。深い意味があるわけではない。戯曲以外に、童話やエッセイなどの原稿料が入っているから、その方がわかりやすいと思っただけである。ただし、ここにこのように書いているせいか、演劇や出版に関係のない、たとえば宿帳などに職業を書く場合も、「文筆業」としている。口頭で言う場合は、「ものかき」である。
 めったにいないが、それでも時に、「あなたのファンです」と言ってくる人がいる。そういう場合私は、「何のファンですか」と聞き返すことにしている。私には、「演劇のファン」と「童話のファン」と、嘘で固めた『虫づくし』などのエッセイ集「づくしもののファン」がいるからであり、それぞれかぶさり合うことなく、別人種である場合が多いからである。
 一番多いのは「童話ファン」であり、これはおおむね中年もしくは老年の女性であり、「えっ、劇作もなさってるんですか」と、私の本業について知らないものが多い。「づくしもののファン」は、中年の男性に多く、劇作家であることを知っているものも少しはいるが、童話も書いているということについては、ほとんど知らない。残念ながら「演劇のファン」が一番少なく、ただし、年齢層としては、一番若いものが含まれているかもしれない。
 本業を「劇作家」としたのは、それによる収入が一番多いからと言うのではなく、昭和四十二年に「新劇岸田戯曲賞」をもらい、それをきっかけに給料取りをやめ、「ものかき」として独立したからである。周囲のものも、「劇作家になるのだな」と思ってくれたに違いない。
 ただ時々、「劇作家です」と言うと、「ああ、シナリオライターですか」と反応されることがある。当時私は、テレビシナリオや映画シナリオなども書いていたから、それはそれで構わないのであるが、正確に言うと、劇作家とシナリオライターとは違う。劇作家と言うのは、舞台用の台本のみを書くもののことであり、華やかさや収入の面ではシナリオライターに及ばないものの、それぞれ心の底では、「もうちょっと重い仕事」と考えている。
 演劇というのは「共同作業」であり、一人では出来ないから、どこかの劇団に入ったり、特定の集団と組んだりしなければならない。この点が、一般の「ものかき」と少しばかり違うところと言えよう。「集団生活」とは言わないまでも、「共同作業」が苦手のものには、向かない仕事である。
 ただし、演劇人の中でも劇作家に限って言えば、微妙なところであるが、まるっきり集団に溶けこんでしまう人間より、そのことに少し違和感を持つ人間の方がいい。私自身がそうだったし、その点で仕事がしやすかったことが、多々あったように思えるのである。事実私は、最初に「早稲田小劇場」に劇団員として参加して以来、そこを退団してからは、一貫してフリーの劇作家として過ごしてきた。いや途中、一度だけ、仲間と一緒に「手の会」という集団を作り、そこで仕事をしたが、これは劇団ではなく企画集団のようなものだったから、除外してもいいだろう。
 その代り、フリーとは言ってもどんな劇団や集団ともつき合う、というのではなく、特定の劇団や集団と、くり返し仕事をする、ということを心掛けてきた。それが「文学座」であり、「演劇企画集団・円」であり、「かたつむりの会」であり、「ピッコロ劇団」である。「手の会」の流れの「木山事務所」や、その連続上の「名取事務所」も、そのひとつと言えよう。
 この間、演劇を通じて「私は何をしてきたのか」と自問自答してみると、「不条理劇」という手法をあれこれ試しながら、我国における独特の「小市民のありよう」もしくは「その消長」を、描いてきたように思われる。
 もちろんこの小市民層は、かつて「社会主義リアリズム演劇」の中では、「プチ・ブルジョア」と呼ばれ、否定的階層とされていたから、当初は「自嘲的」に描いていたのであるが、「一億総中産階級」という言い方がされるようになって、むしろその我国における「独自性」が評価され、やがてまた、高度成長とバブルの時代を経て、なすすべもなく崩壊させられてゆくのである。
 私は、私自身がそうであったからかもしれないが、この小市民の台頭と没落の過程に、昭和という時代の、最も大きなドラマを感じとったのである。「もしかしたら」と、或るとき私は考えた。「この我国独特の小市民を支えた生活感覚は、かつての下級武士の精神に通じ、更にさかのぼれば、枯山水、侘茶、水墨画、俳句の文化から下ってきたものではないか」と思ったのである。
 この「思いつき」それ自体は、さほど的はずれではなかったと考えるものの、あくまでもそれは「生活感覚」であり、「哲学」ではなかった点に、「もろさ」を露呈したのかもしれない。バブルがはじけた時、「これで我国の小市民性は、かつてのその強さを発揮しはじめるであろう」と私は予想したが、現実にはそうならなかった。バブルの崩壊と同時に、雲散霧消してしまったのである。
 もちろん、この小市民性が「生活感覚」に過ぎず、「哲学」になりえなかったことについては、いくつかの要因がある。その最大のひとつが、戦後民主主義思想の導入による、「父権の喪失」であろう。いや「喪失」というよりは、「未解明」と言った方がいいかもしれない。つまり、民主主義下において我々は遂に、「父親とは何か」について明らかにすることが出来なかったのだ。この点も、私の演劇の、重要なテーマのひとつとなっている。
 そしてこの「父親の未解明」が、バブルの崩壊後、それまで「働き蜂」として、かろうじて存在理由を保ってきていたものの、それすらも失い、「家庭崩壊」という現象をまねく。これが昭和という時代の、致命傷と言っていいかもしれない。
 大ざっぱに言って、これが私の演劇が辿ってきたドラマと言えるが、小市民を肯定的に扱った作品は、初期作品のひとつである『赤い鳥の居る風景』だけかもしれない。これは、小市民である盲目の姉が、両親の自殺後、その弟に、小市民の弱さを感じとり、アウト・ローとして生きることを勧めるが失敗。自ら小市民として生きる決意をする、というものである。
 小市民ということをはっきり意識して書きはじめたのは、文学座のアトリエ公演での『にしむくさむらい』及び『あーぶくたった、にぃたった』からと言えよう。ただ、この時すでに私は自嘲的にしか小市民というものを扱っていない。もしかしたら私たち世代のものは、左翼であった経験を持つものは特に、自嘲的にしか小市民たるものを確かめられないのかもしれないのだ。
 その後、木山事務所のために書いた『はる・なつ・あき・ふゆ』も、小市民をモチーフにした作品であり、ここでは或る小市民一家の崩壊をタイトル通り、四季を通じて描いたのだが、「どうしてそうなったのか」について一切触れずに、あたかも季節が変わるように「そうなった」としたのが、独特だったと言えるかもしれない。それだけ、我々の生活感覚の中で「小市民の崩壊」は、身近なものになっていた、ということだろう。
 「父権の喪失」については、南米ガイアナの「ジョーンズ・タウン」での集団自殺事件に取材した『マザー・マザー・マザー』という作品がある。当時、「イエスの方舟」事件などを始めとして、新宗教の時代と言われ、新しく出来た宗教の教祖が、「失われた父権の代替物」となるであろうと予想されていたのであり、「ジョーンズ・タウン」の教祖も、その一人であると目されていたのである。
 「マザー・マザー・マザー」というのは、その教祖が毒を服んで死ぬ直前、口にしたと言われている言葉であり、私としては、「父親」であることに失敗した言葉、と見なしてタイトルとしたのである。我国でも、その種の新宗教がいくつか生まれ、一時期若ものたちを集めたが、「オウム真理教事件」を最後に、それぞれ消えていった。
 「家庭崩壊」についての作品としては、「朝倉教授一家の祖母殺し事件」に取材した『木に花咲く』という作品がある。「家庭内暴力」が盛んであった時代のシンボリックな事件で、私はこれが、家族という無意識の対人関係が、「意識化されることによって崩壊しはじめた」ことの、手がかりとなるものと思えたのである。
 「泳いでいる者に、どうやって泳いでいるのか聞いてはいけない」と、或る時私は、或るところに書いたことがある。どうやって泳いでいるのか、考えはじめたとたん、その者は溺れてしまうからである。現在我々は、対人関係において溺れている。その中での対人関係について、劇作家は虚しく探りつつある、と言っていいだろう。
(劇作家)







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