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評者◆吉田文憲
中上健次に見えていたものが、いまのわたしたちにもようやく見えてきた──中上健次再発見ともいうべき強い衝迫力が漲る「秋幸または幸徳秋水」(柄谷行人『文學界』) 
No.3089 ・ 2012年12月08日




 柄谷行人が中上健次について語っている「秋幸または幸徳秋水」(『文學界』)が刺激的だった。彼は「熊野大学」での一受講者の「「秋幸」が幸徳秋水のもじりではないか」との指摘を肯ったのち、かつての『日本近代文学の起源』に重ねるようにして、中上作品、とりわけ『地の果て至上の時』を大逆事件、あるいは大逆事件後の新宮の現実をモチーフにした作品として分析してゆく。柄谷は言う、「秋幸とは何者か? 彼はいわば、大石誠之助=幸徳秋水の再来です」と。
 柄谷が、幸徳秋水について考えるキッカケは、3・11の大震災原発事故のとき、閉山した足尾銅山の堆積場が決壊して、鉱毒汚染物質がまた渡良瀬川に流下したニュースを聞いたからだという。たとえば、田中正造が足尾銅山の鉱業停止を訴えて明治天皇の馬車に直訴状をかかげ駈け寄ったとき、この直訴文を書いたのが、当時「万朝報」の記者だった幸徳秋水だったということは、よく知られているだろう。幸徳秋水は、中江兆民の弟子である。田中正造は自由民権運動に早くからコミットしており、田中と中江は共に第一回衆議院選挙に立候補して当選している。二人には強いシンパシィがあった。柄谷は、幸徳が田中正造に協力を惜しまなかった背景を分析しながら、この議論を、さらに自由民権運動敗北後の明治二〇年代に重ねてゆく。それは日本が帝国主義に転じた時期でもある。この時期に登場する北村透谷は、自由民権運動から脱落し、「空の空を撃つ」「想世界」によって、すなわち文学的想像力によって、現実の政治的世界に対抗しようとした。その透谷に近代文学の起源を見る見方が流行していた一九七〇年前後の近代文学研究に対して、柄谷の『日本近代文学の起源』は、その起源が「透谷的な転倒」ではなく、「国木田独歩のような転倒(「風景の発見」)によって成立した」とのべることによって、近代文学の認識的布置に強い衝撃をもたらした。今回のこの論文は、そこに大逆事件を重ね、一八九〇年代と現在の類似性を指摘しながら、九〇年代以降の新自由主義は反復された新帝国主義であるとする新たな文脈で中上作品、さらには中上健次の文学的闘争を見ようとしている。「新宮には、大逆事件を通して、日本社会の矛盾が凝縮されている」。『地の果て至上の時』や『鳳仙花』を書いた中上健次に見えていたものが、3・11以降の重力異常や地盤変化によって、いまのわたしたちにもようやく見えてきたものがある。中上健次再発見ともいうべき強い衝迫力が、この論文には漲っている。
 小説では、藤谷治「鴎よ、語れ。」(『新潮』)が印象に残った。この小説では、太宰治の昭和十五年の作品「鴎」が入れ子のように使われている。戦地の兵隊から売り込みもかねて太宰の許に送られてくる作品、それに彼はどう向き合ったか。私は戦線を知らない。だから、戦線のことは兵隊さんに任せるしかない。「自身、手さぐつて得たところのものでなければ、絶対に書けない。確信の在る小さな世界だけを、私は踏み固めて行くより仕方がない」。これが太宰の立場である。それは藤谷の立場でもあるのだろう。この戦線には、あきらかに地震や津波、原発放射能汚染の被災地の現実が重ねられている。小説を読む限り、この作者も被災地でボランティア活動をしたのかもしれない。それでも、被災地のことは容易には書けない。ましてや同情や激励めいたものは極力避けたい。被災地や被災者にこびるな。太宰作品を通して、著者はそう言っているように見える。この時代、物書きとして、自らに誠実であるとはどういうことか。どうあるべきなのか。何を書き、何を書いてはいけないのか。それでもなお目の前の人から「お前は何をしているんだ」という声が執拗に聞こえてくる。この小説は、そういう声にたえず耳を澄ましている。
 木村友祐「天空の絵描きたち」(『文學界』)は、高層ビルのガラス清掃に従事する二十五歳の女性を主人公にした小説だが、この小説で印象的なのは、たとえば地上百メートルの空中から「はるか下」を見下ろす視線と、その高層の作業現場を、地上への落滴を確かめるために「はるか下」から見上げる二つの視線の不思議な浮遊感である。おそらくそれは、幾分か、この世ならぬ他界からの視線でもあるのだろう。小説がそういう視線に晒されるとき、世界からはふいに音が消える。時間の流れが止まり、あるいはゆるやかになり、普段は見えないものが見えたりする。そういう瞬間の裂け目や時間の歪みを「まるで人間ワイパーのように窓を拭きながら」スイスイ上下するものの姿が、なにか別の時空や鏡面に生息する不思議な生きもののように、この作者の目には見えているのではなかろうか。落滴は、その天空の遠い視線の中に、遠い彼方からやってくる水のしたたり、現象のようにも思われる。だからそれは同時にその遠いまなざしに映ったヒトの生きる姿であり、どこからかやってきたいのちの滴りでもあるのだろう。小説のラストの一行、「はるか下」からのまなざし、《ロープを操って下りていく彼ら五人の姿が、「永遠」を思わせる湖面の上をまたたく間に転げ落ちていく、ただの落滴に見えていた》。評者の目は、こういう箇所に強く感応した。
 三崎亜記『統合前夜』(『すばる』)。市と町の合併を巡る、ネット上で巻き起こった匿名の反対運動と行政側の、これもまた幾分陰謀めいた駆け引きが描かれている。ややミステリアスな展開だが、《まっすぐなはずが曲がって見えるスプーンは、真実など見方次第でどうにでも変わる》、こういう解釈しだいでどうにでも変わる空白を最後まで持続したところが、この小説の力になっている。
(詩人)







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