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評者◆阿木津英
情報インフラに由来する意見対立──それより、作品と作者は別なのか
No.3088 ・ 2012年12月01日




 岩井謙一歌集『原子の死』の歌と文章に対して、「現代短歌新聞」11月号歌壇時評に小高賢、ネットのブログで吉川宏志が反論している。岩井謙一の文章は一口に言えば、原発推進派の主張そのままのもの。対して、「誤認や思い込みのある文章」(吉川)、「論理に飛躍がある」(小高)というのである。
 岩井が原発利権に関わっているとは思えない。吉本隆明や岡井隆の反・反原発論議のときにも思ったことだが、これはネットで情報をとる者とそうでない者との情報格差が意見対立の大きな要因ではないか。
 改めて吉本・岡井の発言を検索して読み直したが、やはり無惨だ。岡井は高木仁三郎等の著書を読んだうえでの意見ということだが、ネットの海は著者をもつ活字情報ばかりではない。玉石混交ではあるが、動画も海外からの情報も現地からの片言隻語もあって、映像はことに重要だ。吉川・小高はそこから情報獲得をしているが、吉本・岡井・岩井はおそらく新聞テレビと書籍だけだろう。
 ここにあるのは、まず情報インフラの相違に由来する対立なのだ。吉本は科学文明のもつ不可逆性という考え方から、岡井は大衆の偽善的な「正義」のイデオロギーに対する嫌悪から、岩井は自己犠牲を厭う利己主義に対する批判から、それぞれ信ずるところに従って判断をしている。それがわかるからこそ、「無惨」を感じざるを得ない。
 過渡的な現代は、このような不毛な意見対立をも生み出すということだ。それより小高・吉川の反論から考えさせられるのは、作品と作者の関係という根本的な問題である。吉川は「作者がどんな考え方をもっていても、作品は作品として評価したい」とし、自然や肉親の歌を是として、原発関係の歌を「認識の上で賛同できな」いとする。しかし、たとえ認識に同意しなくとも、歌として文学として人に訴えてくるところがあれば、それは価値ある歌だろう。その対立から新たな認識も生まれよう。それでこその文学ではないか。こういう意味において、わたしは岩井の歌を評価できない。
 作者は、自分の作ったすべての作品に責任をもつものだ。作品は一人歩きするものだからといって、作者は発語の責任を放棄することはできない。
 吉川の短歌批評に対する考え方こそは、論ずるに値する短歌的課題だろう。







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