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評者◆秋竜山
落語がブームなのですか、の巻
No.3087 ・ 2012年11月24日




 藝談が面白い。桂米朝・語り/市川寿憲・聞き手『歳々年々、藝同じからず――米朝よもやま噺』(朝日新聞出版、本体一三〇〇円)では、〈仲間や弟子と酒酌み交わし藝を磨いた65年――数え米寿を迎える「語りの神様」による藝談集、待望の第3弾〉(オビ)。一流の噺家になると、藝談も一流のものになる。二流の噺家が一流の藝談というものがありえるだろうか。語り手に人間味があってのことだ。その点においては、桂米朝の人間味は、若い時からにじみ出ていた。落語を聞くというより、テレビなどでの語りを聞くという印象が強くある。上方そのものの大きな存在感のある噺家である。本書で、〈落語作家〉について語られている。
 〈「おもしろい落語を書くのはどうしたらいいですか」と、小佐田定雄君(落語作家)が落語作家志望の人に訊かれた時には、こう返すんやて。「おもしろい演者に書くことですよ」。枝雀と長年一緒にやってきたからなァ。「どんな台本でもウケさせてくれる、これは強かった」。良い演者をつかまえて、その人に当てて書くのがコツということや。〉(本書より)
 たしかに落語作家は、作品を世に出すには言葉にしなければならないということだ。落語家が言葉にして笑わせる。言葉を発しない落語というものは存在するだろうか。笑いという共通性の中でマンガがある。マンガには言葉を発しない動きだけで表現するサイレント・マンガがある。昔のサイレント映画がそうだった。この無言劇は世界共通の言葉に変化させるものだ。絵だけで笑わせる。落語はどうだろうか。瞬間的なしぐさでドッと笑わせることはあるが、一時間もザブトンの上に座ったきり何も言葉を発しないで、笑わせるということはあるだろうか。あったら面白いだろうけどねえ。そーいえば、落語作家で思い出したのは、昔は雑誌などに必ずといっていいほど新作から古典までの落語が掲載されていた。読み物としての落語である。これが面白かった。落語は本来、耳で聞くものであるが、目で聞くということになるのだろうか。ユーモア小説というものもあったが、それと異なった笑いがあった。会話だけで成り立つのが落語の面白さである。ラジオなどの番組にも一日の内いくつもの落語の放送があり、子供も大人も一緒になって聞いて笑ったものであった。何回も同じ落語を聞いても笑った。頭の中で耳から入ってくる言葉を絵にするから、そのつど笑えたのであろう。そして、いつの間にかおぼえてしまったりしたものだ。まだテレビのない時代であった。テレビのないよき時代ということになるだろう。よくテレビドラマなどで昔のそのような茶の間の光景が出てくるが、日本人好みのいかにも日本日本した光景である。テレビ時代になって、そのようなものが消えてしまった。雑誌から落語が、ラジオからもすくなくなってしまった。テレビの落語がなぜすくないのか、よくわからない。お笑い番組花ざかりにくらべると、なんともさびしい限りだ。「いや、そんなことはないよ。落語は今ブームだよ」という声も聞えたような聞えなかったような。落語ブームでなくて落語家ブームということか……。







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