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評者◆秋竜山
足腰を使わない世の中、の巻
No.3086 ・ 2012年11月17日




 書店で手にとってみた、堀井憲一郎『落語の国からのぞいてみれば』(講談社現代新書、本体七四〇円)と、いう本。手にとった動機は、タイトルに〈落語〉という文字があったからだ。本のタイトルの全体もいい。そして、オビの〈江戸を向いて歩こう!〉というコピーも気にいった。手にする条件としてはモーシブンナシだ。そして、例によって、パラパラをやる。すると、パッと目に飛び込んできたのが、〈歩くしかないんだもん〉という項目の太文字であった。このセットク力のある一言が気にいった。「そーだよなァ!!」という気分にさせられる。江戸時代として当然かもしれないが、現代からみると、変てこというか妙なるユーモアがただよっている。「そーいえば昔はそーだった。江戸といわず、ちょっと昔の子供の頃までは、歩くのが当たりまえだった。歩くのが苦にならなかった。そんな日本だった。今は歩くことが運動不足のためだけど、かつては生活のためだったんだよなァ」なんて、昔を思い出す。ついこのあいだまでそんな日本だった。なんて、ね。
 〈「むかしは道中をするのにたいそう乗り物の便が悪うございました。乗っても駕籠か馬、そのほかは草鞋ばきでてくてく歩くばかりで、そりゃもうえらい日かずがかかります」こっちは小さん。先代の小さん「二人旅」の導入部。こういうマクラが多い。昔の旅は歩くばかりだから大変だったという説明である。駕籠や馬に乗ったところが、速さはほとんど同じだ。急ぐときに乗るのではなく、楽だから乗るのだ。しかし有料。だからふつうみんな歩く。「昔の旅は、右の足と左の足を互い違いに前に出して進むばかりという、きわめてのんびりしたもので」そういうマクラもある。〉(本書より)
 歩くといっても、江戸の人と今の人では歩きかたが違うだろう。
 〈歩くしかない時代には、歩く旅のことを、大変だとも、のんびりしてるとも、おもっていない。おもえないです。あたりまえだけどね。だって、歩くしかないんだもん。〉(本書より)
 本書で述べられているように、〈現代人は、歩くことにほとんど関心を持ってない。歩く量を減らして生きるのに必死だ。機械によって移動するのがふつうになって、「歩くのは損」だとおもってますね。〉というのは確かだ。現代人は、歩くことをいやがる。歩かない世の中は、便利な世の中ということになる。現代は老人に親切である。老人が若者より多くなる時代になるともいう。そうなると、老人向けの世の中ということになるだろう。老人向けとは楽なという意味である。足腰を使わない世の中ということだ。老人に便利ということだ。
 〈昔は足腰の悪い老人は外に出られなかったんだろうからそれはいいんだけど、でも老人に都合良い社会では、若者もまた老人と同じ動きをしてしまう社会になる。〉(本書より)
 昔は老人に都合良い社会ではなかっただろう。若者が中心であって、老人はひっこんでろというようでもあった。そーであって、老人は黙ってなかった。「俺たち若え頃は……」なんて決まり文句だ。江戸時代にはもどりたくない。なぜならば、歩きたくないからだ。歩くのは運動のためのものだ。現代の悲劇というより喜劇だ。







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