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評者◆渡辺啓市(ブックスなにわ古川店、宮城県大崎市)
ラストの輝きが絶品の作家──古内一絵著『十六夜荘ノート』(本体1600円・ポプラ社)
No.3086 ・ 2012年11月17日




 数年前、芸能人がある小説大賞を受賞して大きな話題になった。
 本は予定通り売れ、発行版元も潤沢に商品を入れてくれたおかげで、書店の売り上げに大いに貢献することとなった。
 だが私はふと考えた。この作品のために次点になった日本一可哀相な作品は何だったのだろうと。
 それが「快晴フライング」でデビューした著者、古内一絵との幸運な出会いだった。本作品は今、私がイチオシしている作家の第二作目になる。
 一分も時間を無駄にしない生き方をしてきた大手商社のエリート社員雄哉のもとに、亡くなった大叔母玉青の遺産相続の話が飛び込んでくる。古いアパートを取り壊して土地を再利用しようと現地に乗り込むと、そのアパート十六夜荘は、中年フリーター、三十路間際の美大生、不法滞在の若いタイのマッサージ嬢、自称ミュージシャンが住む共同住居だった……。
 物語は雄哉が中心の現在のパートと、大叔母玉青が若い頃の戦時下の過去パートが交互に語られ、何故縁が薄い雄哉へ土地の相続がなされることになったのか、その謎が少しずつ明らかになっていく。
 何より十六夜荘の面々のキャラクターが素晴らしい。合理主義者の雄哉が強引に立ち退きを迫っているのに、敵対している彼が訪れると歓待し、僅かな収入の中から酒や食事をご馳走する。特に会話体にこの作家のとぼけたユーモアセンスが光り、雄哉と住人たちの噛み合わないやりとりが楽しい。
 そして或る出来事から雄哉が失職し、ビジネス上の苦境に陥ると、彼の中に微妙な気持ちの変化が起こり始める。堅い鎧で覆われたような雄哉の心が、自由で屈託のない彼らと接するたびに、薄皮が一枚一枚剥がれていくように、生身の人間になっていく過程が見事だ。
 急ぎすぎる雄哉の生き方そのままに、現在のパートがエネルギッシュに進むのに対比して、過去のパートは、今を大切に生きたい玉青のしっとりとした人生のように緩やかに進む。
 戦時下の厳しい時代に生きながら、華族の令嬢として、庶民とは比較にならない恵まれた生活。特に屋敷の離れに、家督である兄の一鶴を慕って集まってきた貧しい美学生たちが繰り広げる青春群像は、明日をも知れない戦時下の中で、儚いだけに眩しいばかりの輝きを放つ。
 特に出征する仲間を送り出す宴で、月光が射し込む静謐の中、一鶴が奏でるピアノの調べの美しさは、その場に居合わせた人びとの息遣いまで伝わってくるような名場面だ。
 後半、戦争によって何もかも失った玉青が、その大切なものの欠片を取り戻すため、今までの生活を捨て、必死に力強く生きていく様が、人間性を取り戻していく現在パートの雄哉と鮮やかに対比し、ラスト、思いがけず二人の人生が交錯する瞬間、まるで太陽と月が重なったように見えないものが見えてくる。デビュー作「快晴フライング」といい、本作品といい、この作家のラストの輝きは絶品だ。
 女性作家にしては、そして青春小説にしては珍しく、恋愛シーンがなく、時代背景と登場人物たちの魅力だけで物語を引っ張る力量はとても新人作家とは思えない。
 前作では中学水泳部を舞台に、少年少女の思春期に揺れる心を描き出して見せた著者が、今回は全く違った舞台で違った青春ドラマを仕上げて見せた……。
 と、ここまでゲラを読んで絶賛してきたが、あれ? そういえば今日が発売日じゃなかったっけ? おいおい配本ないぞ! 予約分の五冊どうすんだよ!
 版元が潤沢に本を入れてくれなかったおかげで、私は日本一可哀相な書店員ですか?







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