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評者◆別役実
私にとっての昭和
No.3085 ・ 2012年11月10日




 「昭和」と言っても、私は昭和十二年生まれであるから、体験した時代として語れるのは、ほぼ第二次大戦後、昭和二十年以降ということになる。もちろん、何を以って時代を時代とするかについて、何かしら手がかりがなければならない。私はそれを「犯罪」とする。
 私は子供のころから三面記事に関心を持ち、その時々に起こる「犯罪」に、こういう言い方が許されるなら、胸をときめかせていた。いわば「犯罪」を通じて、「昭和」という時代をくぐり抜けてきた、と言ってもいい。
 こうした意味で私が最初に取り上げるのが、昭和二十七年に発生した『荒川バラバラ事件』である。これは、小学校教師の宇野冨美子(26)が内縁の夫である板橋区志村署の巡査・伊藤忠夫(27)を殺害し、バラバラにして荒川に流したというものである。「バラバラ事件」であったこともさることながら、被害・加害のそれぞれが、最も「犯罪」とは縁のなさそうな小市民であったことが、世に衝撃を与えたということであろう。
 ただ私個人には、もうひとつ、得るものがあった。当時或る週刊誌で対談をしていた徳川夢声が、「悲惨な事件でもあるが、どうしても笑ってしまうところがある」と発言している点に、「眼からうろこ」の感じを持ったのである。確かに冨美子とその母親が、バラバラにされた大男である忠夫の死体を、自転車の荷台に載せて、交番の前を「ごくろうさまです」とあいさつをしながら、荒川に捨てに行ったという光景は、「おかしい」としか言いようがないかもしれない。
 「視点を変えると、犯罪は喜劇にも見える」ということが、以後私の「犯罪」に対する見方に、新たなものを加えた、という気がするのである。そしてまた、私は本業である劇作において、昭和における小市民のありようについて書き続けてきたように思われるのであるが、その最初の主人公を、この事件で見つけたとも言える。事件そのものも、『舞え舞えかたつむり』というタイトルで、劇化している。
 と、私の体験した第一の事件を紹介したところで、私ばかりでなくほとんど日本中の人々が体験出来なかった、戦前・戦中を通じて最も重要と思われ、「昭和」を語る上で無視することの出来ない事件を一つ、書いておかなければならない。昭和十三年、岡山の山間の一寒村で発生し、一夜にして三十人が殺害されたという『津山事件』である。
 今でこそ、いくつかの資料によってその内実が明らかにされつつあるが、当時は単なる「犯罪」事件であるにもかかわらず、報道管制が布かれ、地方紙に小さく出た以外、全国的には全く知らされなかったのだ。
 当時戦時下にあり、人心を惑わせたくないと考えたのかもしれないが、実はこの事件が、無意識に眠らされていた我国の地域共同体の、近代化による崩壊を暗示するものであった、ということも、重要な理由かもしれないのである。つまり、戦時と関わりなく、明治以来の急激な近代化によるひずみが、ここに出現したのだとすれば、「昭和」という時代の構造をゆるがすものとして、重要視せざるを得ない事件、というわけである(詳しくは、拙著『犯罪症候群』「域内殺人事件」を参照)。
 『荒川バラバラ事件』に続いて私が注目したのは、三十八年の『吉展ちゃん誘拐事件』、四十一年の『千葉大チフス菌事件』、そして四十三年の『三億円事件』などである。『吉展ちゃん事件』は悲惨であったが、医者を装って人々にチフス菌を植えつけようとしたらしい『チフス菌事件』や、まんまと成功した『三億円事件』は、大いに「笑える」ものだったと言っていい。もしかしたらこのあたりが一番、「昭和」という時代の、のびやかな過程と言えるであろう。私は、同じ関心を持つ友人数人と、『三億円事件』の犯人が辿ったであろう道筋を、歩いてみたりしたものである。
 例の、現金輸送車が停められたという刑務所の塀が、余りにも殺風景だということで、後に美術学校の生徒による絵で埋められ、「とんでもないことをする」と考え、もう一度見に行ったりした。時効になって、犯人が未だにわからないこともあり、たいした事件ではないのだが、妙に印象に残るのである。
 次に四十七年の『連合赤軍リンチ事件』によって、情勢はガラリと一変する。「昭和」という時代の暗い部分が、いきなりヌッと顔を出した感があるのだ。報道を聞いて、私は言葉を失った。私には、こうしたことがあると必ず会って話すか、そうした余裕がない時は電話で話す仲間が、二、三人いるのであるが、彼等と話すことも、暫くはなかった。それほど衝撃的だったのである。
 もちろんこれ以前に、四十四年、連続四人射殺の『永山則夫事件』、四十五年『よど号ハイジャック事件』などがあったが、時代そのものを底深くえぐったという意味で、私にとってこの『リンチ事件』は並はずれていた。
 少しばかり「救い」があったとすれば、それは事件が『浅間山荘事件』に連続し、超過激派集団対官憲の、闘争という形をとった点であろう。『リンチ事件』が目指したとめどもない暗黒部は、あぶり出されて『山荘事件』となり、その非連続性により、いわば機械的に断ち切られることになったからである。
 後に私は、少し落ち着いてから、「過激派集団」と「超過激派集団」は全く別物であり、前者は単に行為において過激なだけだが、後者は、時として「行為ならざる表現」をする場合があるとし、アンケートの設問(「あなたはバラの花が好きですか」)に対する答え、「はい」「いいえ」「わかりません」の例を挙げ、前者が「いいえ」一派だとすれば、後者は「わかりません」一派であると説明しようとした(拙著『犯罪症候群』「連合赤軍の神話」参照)。
 この時期、私はこの事件を解読すべく悪戦苦闘し、いつかこれを劇化しようと目論んできたが、未だ実現していない。しかし「昭和」という時代を見通した時、この事件が最暗部にわだかまるであろうことは、ほぼ確信しているのである。
 四十七年に『テルアビブ空港乱射事件』があり、これにも驚かされたが、『リンチ事件』ほどではなかった。前述した言葉に従えば、これは「過激」ではあったが「超過激」ではなかったのである。
 五十四年に世田谷で『朝倉少年祖母殺害事件』、五十五年に川崎市高津区で『金属バット殺人事件』があり、「家庭内暴力」の時代となった。「家族」というものが、既に崩壊しつつあったということをあからさまに示し、同時に、反体制に向かっていた「学生運動」のような衝動が、内向しはじめていたことを示すものと言えるであろう。「体制に向けられていた悪意が、家庭に向かい、次には自分自身に向かうことになるだろう」と言われていたが、まさしく情勢は、そのように進行しつつあったのだ。
 私は、『朝倉少年祖母殺害事件』を材料にして、『木に花咲く』という芝居を書いた。今、振り返ってみると、少年の眼でも、少年の親の眼でもなく、祖母の眼で事件を振り返っていることに気がつく。つまりここまでくると、「昭和」という時代を確かめるよりどころとして、我々は、この事件の「祖母」の立場に立たざるを得ない、ということであろう。
 五十五年に『イエスの方舟事件』、『新宿西口バス放火事件』がある。前者は、平凡な一般家庭の子女が、「オッチャン」と呼ばれる教祖の許で共同生活をはじめ、家族がそれを取りもどそうとして押しかけた事件であり、後者は、一人の浮浪者が夕方、帰宅途中のバスの乗客を見て、「幸福そうな家族にカッとし」、ガソリンをばらまいて火をつけた、というものである。これらもまた、「家族の崩壊」を示すものと言っていい。
 ただし前者は、当時「邪教」とののしられたものの、後にまともな宗教団体と認められて、以後長く存続した。「新宗教」と呼ばれる集団が、「家族」に代って新しい対人関係を作りはじめたキッカケとなる事件、と言ってもいいだろう。
 五十九年『江崎グリコ社長誘拐事件』があり、後に「劇場型犯罪」と呼ばれるようになった『グリコ・森永事件』に発展するのであるが、これが「昭和」という時代の終末を示す事件、ということになるかもしれない。「劇場型犯罪」というのは、マスコミを通じて世間一般に事件そのものを、あたかも「見世物」のように呈示するという種類の犯罪であり、「犯罪」というものがかねてより引きずってきた、いわば「生活感」のようなものが見え難い、という特徴を持っている。
 この点が目新しかったからなのか、この事件によって「犯罪」は、一挙に大衆化され、国民的な関心事になったことは否めない。私と故・朝倉喬司の『犯罪季評』が、朝日ジャーナルで始まったのも、この事件がキッカケとなったのである。
 その後、六十年に大阪市北区で『豊田商事事件』、翌年には「ロス疑惑」の『三浦事件』などがあり、それぞれ時代の或る側面を映し出すものであったが、「劇場型犯罪」的なマスコミの取り扱いもあって、ほとんど「お祭り騒ぎ」のように終始した。
 「昭和」最後のこの時期は、『いじめ問題』『自殺問題』など、深刻な事情を抱え込みながら、上滑りをしてしまっていたように思われる。何はともあれ、「小市民的生活感覚」と「家族」というものの、崩壊過程を示す時代だったと言えよう。
(劇作家)







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