書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります

【重要なお知らせ】お問い合わせフォーム故障中につき、直接メール(koudoku@toshoshimbun.com)かお電話にてバックナンバー・定期購読の御注文をお願い致します。

評者◆星 真一(紀伊國屋書店梅田本店、大阪府大阪市)
物語のあとに温かいざわめきが残る──穂積著『式の前日』(本体四二九円・小学館フラワーコミックスα)
No.3084 ・ 2012年11月03日




 『式の前日』(穂積/小学館フラワーコミックスα)というタイトルをはじめて目にしたのは九月のなかばのツイッター。ひとたび気になってみると、どのひともこのひとも、私の信頼する読み手がみなこぞってすごい、すばらしいと絶賛しているのだった。
 ハードルどころか棒高跳びくらいに高まった期待で胸をいっぱいにして読んだ。まったくすばらしかった。期待を裏切らなかった。ふだんコミックを読まないので、この作品の相対的なポジションはわからない。穂積という作家は新人だそうだ。フラワーというからには少女コミックなのかもしれない。そういう文脈のようなものをいっさいうっちゃって、作品が私のなかにすとんと落ちてきた。物語のあとに温かいざわめきのようなものが残った。
 『式の前日』は穂積のデビュー作でもある表題作ほか五篇を収録した短篇集だ。登場人物も舞台もまるでちがう、それぞれ独立した短篇であるのに、まちがいなく地続きの物語としてそこにあるのは、たとえば裏表紙で各話の主人公たちがごく自然に卓袱台を囲むイラストにも表れているだろう。
 どの短篇も甲乙つけがたいのだけれど、通読して感じるのは、穂積が「語り」や「視点」にきわめて意識的な作家だということだ。タイトルが漱石へのオマージュになっている短篇「それから」の語り手が猫であったりするのは、ごくわかりやすい例だけれども、ここでは一年に一度しか逢えない親子を描く「あずさ2号で再会」を取りあげておきたい。
 〈おとうさんをまってる〉という七歳の女の子のモノローグではじまる、ほんの三二ページの短篇にぎっしりとつめこまれた親子の感情、一年ぶりに出会ったぎこちなさがほどけてから別れがつらくなるまでの、その密度に思わずため息をつく。父親が帰ってからのラスト八ページでストーリーをオセロの白黒のようにひっくり返し、最後の一コマでタイトルの意味を了解させる手際はまるで熟練のミステリ作家のようだ。
 親子ふたりで洗濯物を干すシーン。物干竿まで背の届かない娘を父が抱きあげてやることで、ふたりの間にわだかまっていた距離がぐっと縮まるのだけれど、この身振りを二回くり返すところが作家の巧さだと思う。踏み台に乗っても背が届かない娘を父が黙って後ろから抱きあげる一回め、娘から父を誘うようにふり返って抱きあげてもらう二回め。このときの、肩ごしにふり返る娘の表情を描いたカットにこめられた情感と言ったら。けっして大きなコマではないのだけれど、描かれた娘の感情だけでなく、それを見ている父親の、一人称の感情があふれてくる。それはたぶん、すごいことだ。
 こういう話法は古い映画を思いださせる。昔の映画のカメラワークには一人称があって、見つめ合うふたりを描くのにおたがいのクローズアップで切りかえすから、そのカメラがだれの視線なのかはっきりしていて、そこに感情がこもるのだった。
 肩ごしにふり返って甘えるように見上げる娘の視線と、喜びを隠せずにそれを受け止める父の視線、ふたりぶんの視線が交錯するところにさきほどのコマがある。ふたりぶんの視線と感情を支えて、そこにある。物語がこのコマを必要としたのではなくて、このコマが物語を生み落とした、そう言っても過言ではないような忘れがたい一コマ。
 忘れられないコマがもうひとつ。父が帰ったあとは娘の後ろ姿のカットがつづき、つぎに正面から描くカットは、物干台で洗濯物が風にあおられたあとの切りかえしなのだが、このコマはもういないはずの父の視点で描かれたように読める。風に乗ってもう一度だけこっそりとわかれを告げにきた、そう言ったら感傷的すぎるだろうか。
 とはいえ、いろいろな読みを許す、懐ふかい短篇集だ。







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 マチズモを削り取れ
(武田砂鉄)
2位 喫茶店で松本隆さんから聞いたこと
(山下賢二)
3位 古くて素敵なクラシック・レコードたち
(村上春樹)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 老いる意味
(森村誠一)
2位 老いの福袋
(樋口恵子)
3位 もうだまされない
新型コロナの大誤解
(西村秀一)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約