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評者◆添田馨
“反日デモ”のもの悲しい光景──村上春樹 「国境を越えて魂が行き来する道筋」(朝日新聞寄稿)に寄せて
No.3083 ・ 2012年10月27日
「それは安酒の酔いに似ている」──村上春樹は朝日新聞(2012年9月28日付朝刊)への寄稿記事(「国境を越えて魂が行き来する道筋」)で、尖閣問題に端を発した中国の反日暴動のエモーショナルな側面をこのように述べた。その根底には、同じ時期に中国の多くの書店から日本人の著した本が姿を消したことに対する深刻な危惧の念があった。国境を越えた「文化の交換」がせっかく積み上げてきた好ましい成果を、こうした事態が大きく損なってしまうのではないかと。そして、「魂が行き来する道筋」という表現で彼がそれらを必死に擁護しようとする姿に、私も自分なりの立ち位置から深い共感をおぼえた。
詩を書く現場において、私自身はこれと真逆の事態をこれまで少なくとも二度経験している。一度目は1989年の「天安門事件」のとき。そして二度目は2008年の「四川大地震」のときである。手前味噌になるが、私は過去にこれらの事件が強力な契機となり、つごう二編の詩作品をものしたことがある。そのいずれの場合においても共通していたのは、そのとき中国で起こっていた容易ならざる事態に対して、言葉以前に自分が存在レベルで“向こう”と共振しているというまごうかたなき実感であった。1989年の時には、あの天安門広場を埋め尽くした学生や大衆の声とメンタリティに対して、また2008年の時には地震で自分の子供や親兄弟を亡くした幾多の被災者たちの押し殺した慟哭に対して……。 それが今回、中国における一連の大衆行動に対し、私はなぜか以前のような言葉以前の共感を覚えることができなかった。単にそれが「反日」を旗印にしている、という表層的な理由からでは決してない。私の眼に映るのは、あの反日デモの目をそむけたくなるようなある種のスローガンが、図らずも彼等自身の存在をいちばん裏切る結果となっている実にもの悲しい光景なのだ。ここまで彼等を陥れた“心情の罠”こそが、いま最も解体されるべき対象なのだと私は信じて疑わない。 (詩人・批評家) |
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