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評者◆渡辺啓市(ブックスなにわ古川店、宮城県大崎市)
我々を恋の入り口で蹴り飛ばした河野裕子──永田和宏著『歌に私は泣くだらう──妻・河野裕子闘病の十年』(本体1300円・新潮社)
No.3082 ・ 2012年10月13日




 昭和・平成を代表する歌人、河野裕子を初めて知ったのはまだ学生の頃だった。書店で偶然手に取った歌集の、次の一首に心を奪われたのだ。
「たとえば君 ガサッと落葉 すくふやうに 私をさらって 行ってはくれぬか」
 今も昔も、恋愛の入り口でぐずぐず佇んだまま一歩も踏み出そうとしない草食系男子(当時こんな言葉はなかったが)たちに、この歌はまるで背中を蹴り飛ばすような衝撃を与える。
 だから二年前彼女が亡くなったのは、私にとっては大変な痛恨事で、喪失感からその後刊行された関連書籍を手当たり次第に読み漁った。
 本書は「波」連載当時から大きな話題を呼んだ、癌宣告から死までの約十年間の闘病記であり、河野裕子と夫、永田和宏の魂の軌跡だ。
 冒頭の癌宣告の場面から胸が詰まる。事前に教授から検査結果を知らされていた夫は、病院で会った妻が明るい表情だったことに安堵するのだが、一ヵ月後、彼女が発表した歌を知って打ちのめされる。
「何といふ 顔して我を見るものか 私はここよ 吊り橋ぢやない」
 妻から見れば、どんなに平静を装っていても、自分を見つめる夫の顔が、危なっかしい頼りなげな吊り橋を見るようだと歌っている。
 その日から二人は命を削り取られる音を聴きながら、十年の歳月を過ごしていくのだが、それは凄絶と言っていい日々の連続だ。
 睡眠薬服用の副作用による精神の錯乱。自分の辛さを分かってくれないと詰る妻と、どうすることも出来ない夫の苦しみ。夫の仕事や歌人としての評価が高まるにつれ、置いていかれる焦燥感が妻を追い詰め、夜中に包丁を突きつける。夫も感情を抑えきれずに椅子や花瓶を投げつけ、息子に羽交い絞めされる。正に凄惨な修羅場である。
 後年取材旅行記を記していた仲睦まじい二人にこのような日々があったことに驚愕する。
 そして八年目の再発。六十を過ぎても白髪の一本もない豊かな自慢の黒髪が、抗癌剤で脱毛。その頃から妻はだんだんと意識も挙措も「準備している」感を漂わせ始めていく。
 それでも歌人河野裕子が凄いのは、そのような状況下で新しい文体を獲得し、今までになかった歌の境地を拓き、たとえ数ヶ月生き永らえるだけだとしても、少しでも多くの歌を遺すため、苦痛に耐えモルヒネ治療を拒否するところだ。
 うろたえる夫が、寂しさと不安に押しつぶされ、妻を抱き寄せ何度も泣く。その膝に顔を埋めて泣いていると、妻はかわいそうにかわいそうにと、いつまでも夫の髪を撫でる。その場面は河野裕子の死を既に知っている読者にとって、たまらない哀切感が迫ってきて、読んでいる側も苦しくなってくる。
 著者にとっては辛い決断だったと思われるが、芸術家夫婦の想いは、河野裕子が最後に遺した一首
「手をのべて あなたとあなたに 触れたきに 息が足りない この世の息が」
という傑作によって結実する。
 思えば河野裕子の歌人としての今までの作品も、この辛い闘病も、この歌を作らせるため神が与えた試練のような気がしてくる。河野裕子はこの一首で戦後最高の歌人として日本歌壇史に永久に名を残すだろう。
 本書を閉じてつくづく思う。我々を恋の入り口で蹴り飛ばした河野裕子は、魂魄となって夫婦の晩年の恋情を教え、最後に優しく抱きしめてくれたのだ。







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