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評者◆別役実
私にとっての東京
No.3081 ・ 2012年10月06日




 東京に移り住んでもう五十年以上になる。その間、都内で何度か引っ越しをしたが、他県へ出たことはない。それも、渋谷、目黒、六本木、広尾、杉並と、似たような場所を動いてきたから、そのあたりに何か、私を引きつけるものがあったのかもしれない。
 「東京が好きか」と、時々聞かれる。「いや」と、その度に私は言い淀んで、「好きというわけじゃないが」と答えている。かと言って、「嫌い」ではない。旅に出て、その行先がどこであれ、西から品川へ、東から上野へ、列車が滑りこんでゆくと、帰るべきところに帰ってきたという気がして、安らぐ。
 そこに住まいがあるから、というだけの理由ではない。「東京」という空間が、もしくはそのフィーリングが、私をなぐさめてくれるような気がするのである。もう少し詳しく言えば、取りまく人々の視線が、おなじみのものと言えるからかもしれない。
 私は港町というのが好きで、函館や、横浜や、神戸の街を歩くと、「いつかはこういうところに住みたいな」と考えるが、いざとなると、「やっぱり東京を離れることはないだろう」と思う。歩いてみて、「こういうところに住みたいな」と思うようなところが、どこにもないにもかかわらずである。
 東京の魅力というのは何だろう。私は、外国の大都会といえば、ニューヨーク、ロンドン、パリ、イスタンブールと歩いたことがあるが、比較してみると東京が一番「捉えどころがない」と思われる。次がロンドン、イスタンブールであり、パリ、ニューヨークと続く。
 つまり、これが魅力の源になっているかどうかはともかく、諸外国の大都市に比較して、「捉えどころがない」という点で東京が、抜きん出ているのは間違いないであろう。
 或る時、エストニアから来た学生が私に、「レンガ」について教えてくれと、やってきたことがあった。私は煉瓦(レンガ)職人ではないので断ったが、「連歌」のことだと聞いて、一応会ってみることにした。当時私は「能」の現代語訳をしていて、中世文学に詳しいと思われたらしい。「能」はともかく、「連歌」については全くの門外漢であったから、会ってそのことを説明したのだが、せっかくエストニアから来たので、東京を案内してやることになった。
 もちろん、会った日の午後しか空いていないと言うから、せいぜい一ケ所か二ケ所くらいしか行けるところはない。会ったのが渋谷の喫茶店だったということもあり、私は彼を新宿に連れ出して、街を歩きラーメンを食べてもらって帰したものの、「これが東京ですか」と帰り際に言われて、やや鼻白む思いをしてしまった。
 「これが東京」というところはどこだろう。後にこの話をしたら、「浅草に連れていけばよかったんだよ」と言われたが、あそこは観光客向けの「東京」で、「連歌」を学びに来た学生に紹介する「東京」ではない。銀座とも違う。皇居でもない。東京タワーというわけにもいかないだろう。
 もしかしたら「東京」というのは、そうした様々な別な要素を、調和させることなく、ごちゃまぜにしたところ、と言えるのかもしれない。ニューヨークには、ロケハンで暫く滞在したが、五日ほどで「ははあ、こういうところね」ということがわかってしまった。パリにも、友人同士で遊びに行って、これも五日とたたず、中心部分はほぼなめつくした。しかしロンドンは、滞在日数が少なかったこともあり、「一体、どうなっているんだ」という疑問を残したまま離れなければならなかった。
 イスタンブールは、家内が好きな都市で度々訪れ、私もつきあいで二度ほど行き、滞在日数もそれなりに多く、「ああ、こんなところね」と、一口にはまとめあげられない複雑さはあると思ったものの、「東京」のように、整理出来ないということはない。それはもしかしたら、「アジア側」と「ヨーロッパ側」、「旧市街」と「新市街」というように、区分が出来ているせいかもしれないが、同時に、そのそれぞれがそれとなく調和している、ということがあるだろう。
 「東京」にも、「山の手」と「下町」という区分の仕方があるが、隅田川をはさんでこちらが「山の手」、むこうが「下町」とはっきり分かれていればわかりやすいが、現実にはそうではない。ややこしく入り組んでいて、しかもそれぞれ独立したりしているのである。何やらこれといった方針もなく、部分部分が勝手に増殖していったような感じなのだ。
 ところで、「だから駄目だ」と言っているのではない。「そこが東京のいいところだ」とまでは言わないものの、その点が「東京に住む」ということの、或る魅力になっていることは否定出来ない。少なくとも、「飽きがこない」のである。
 私は、私が長年職業としてきた「芝居」について、「よっぽど好きなんだね」と言われることがある。そういう時私は、「東京」について聞かれた時と同様、「好きというわけじゃないが」と言葉をにごし、「少なくとも、ほかの仕事に比較して、飽きがこない」と言っている。
 「飽きがこない」ということは、「これこれこの通り」と納得しようとしても、どこかに必ず納得出来ないところが残る、ということである。「まとめ切れない」のだ。「東京」にも「芝居」にも(こう並べてみると、妙な取り合せだが)どうやら、そうしたニュアンスがある。どうやってみても、持て余すのだ。そしてこれは、生涯続くであろうと思われる。
 ただ、私は若いころそうしてきたように、「東京」を離れないにしても、その内側を転々と、とめどもなく移動し続けるであろうと予測していたのであるが、その点は、はずれた。現在いる杉並区の家に引っ越してきて、もう三十年近く、動いていないからである。
 一つには、引っ越すのが面倒臭くなった、ということもあるだろう。若いころに比較して持ち物も増えたし、捨てる物と持っていく物の整理も大変になった。昔は、住みつくことによって近所におなじみが出来たり、ベタベタした対人関係が出来るのを嫌ったのだが、現在いるところはその点淡白だし、多少のおなじみは出来つつあるものの、年を取ってそれがそれほど嫌でなくなった、ということもあるかもしれない。
 とは言っても時々、夜の散歩に出て家に帰り着き、窓の灯を見て、「ここもそろそろ引き払わなければな」と、まるでそれが使命感であるかのように思うことがある。杉並という一点ではなく、「東京」という漠然とした空間に、もしこういう言い方が許されるなら、「漂っていたい」という願望が、あるのだろう。私は高所恐怖症のせいか、マンションのような高層建築は駄目で、出来れば現在のような一戸建に住みたいと考えているが、そうした物件が、特に都心に近いところには少ない、ということがある。
 ところで私は、年齢七十五になった今年、突如として「パーキンソン氏病症候群」という奇妙な病気になり、ほとんど動けなくなった。足が痙攣し、膝から下に力が入らなくなって、歩けないのである。病院へ行き、「足のふるえを治す薬」というものをもらい、毎日二回服用することで、現在では何とか、近所のポストへ手紙を出しに行ったり、コンビニへ煙草を買いに行ったりすることくらいは出来るようになったが、それも杖を突いてであり、不自由なことこの上もない。
 かつて私は、毎日原稿用紙をカバンに入れ、「行ってきます」と出かけて、外で仕事をすることにしていたから、それが出来なくなったのが、何よりもつらい。今のところは、やむなく家で仕事をしているものの、実はその内に手に「ふるえ」が来て、字が書けなくなるのではないかと、不安になっている。私は「手書き」を旨としており、ワープロもパソコンも遠避けてきたから、字が書けないとなると、お手あげなのである。
 幸い今のところ、病状はやや落ち着きつつあり、原稿も手で、ボチボチではあるが、書きはじめている。ただ、「パーキンソン氏病症候群」というのが、得体の知れない病気で、「どうすればどうなる」ということが、医者にもよくわからないらしい。ということは、私が私の住む「東京」に対して、「捉えどころがない」と感じるのと、似ていると言えるかもしれない。もちろん、かと言ってまだ「病気」の方に対しては、「飽きがこない分、気に入っている」という心境には達していないのであるが……。
 私は小学校の四年から高校を卒業するまでを、長野市で過ごしたが、その間熱烈に、「やがては東京へ出たい」と考えていた。夕方自転車に乗って裾花川という川辺に行き、遠くの鉄橋を東京へ走る夜汽車を、ほとんど『銀河鉄道の夜』でジョバンニが、「天気輪の丘」でしたように、見送ったりしていたのである。フェリーニの『青春群像』でも、フェリーニ自身がモデルだと思われる主人公が、片田舎の駅からローマへ行く汽車を見送るシーンがあり、胸を打たれる。
 こうしたことは、田舎で子供時代を過ごした者にしか、理解出来ない心情かもしれない。もちろん、この時思い描いた「東京」の「輝かしいイメージ」は、実際に来てみて裏切られるのであるが、にもかかわらず未だに胸の奥底に残されて、時にひそかにうずいたりしているのである。現在「東京」に住んでいる者は、大半が田舎者であり、田舎者ほど離れたがらないというのは、そのせいかもしれない。
(劇作家)







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