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評者◆内堀弘
昔日の客──文学書で知られた伝説の古本屋、山王書房
No.3080 ・ 2012年09月29日




 某月某日。大森の坂をのぼって、山王の天誠書林を初めて訪ねたのは、夏の暑い日だった。もうずいぶん前のことだ。
 その頃、私は昭和の初頭に紀伊國屋書店が出していた美術雑誌『アルト』を探していた。自店の古書目録で「1930年代の紀伊國屋書店」というテーマの特集を作っていて、この雑誌だけがどうしても見つけられないでいた。
 そんな頃、天誠書林の和久田さんから「あなたが探している雑誌が入りましたよ」と電話をいただいたのだった。
 まるで書斎のような静かな店で、本当に嬉しそうにその雑誌を手渡してくれた。いや、嬉しいのは私のはずなのに、「よかったね、見つかって」と、和久田さんは私より喜んでいた。
 古本屋さんには異色の経歴の持ち主がいて、和久田さんもその一人だった。気骨の力士天竜を父に持ち(本人は痩せぎすの読書人というふうであったが)、六十年代末からは浪漫劇場で三島由紀夫の片腕となって活躍した演出家だった。そういうことを得意げに話す人ではなかったが、一つだけ自慢の話があった。それは中学生の頃から山王書房に通っていたことだった。
 山王書房は文学書で知られた小さな古本屋だ。店主の関口良雄が昭和53年、還暦を前に亡くなりこの店は幕を閉じる。それでも、関口の遺稿となった随筆集『昔日の客』は長く読み継がれ(二年前には夏葉社から復刊された)、本好きの間でこの店の名はいまも伝説になっている。その山王書房に毎日のように通っていたというのだ。
 和久田さんはこの二月に亡くなった。葬儀の最後に「夢だった古本屋になれて幸せだったと思います」とご家族が挨拶された。五十歳を過ぎてはじめた古本屋だった。
 私は、山王書房を本の中でしか知らないが、探していた本をあんなに嬉しそうに手渡すのを、そうかあれが山王書房だったのかと、ずいぶん後になって気づいたものだ。なるほど、昔日の客は大切な夢を繋いでいたのだった。
(古書店主)







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