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評者◆白川浩介(オリオン書房サザン店、東京都立川市)
今年の翻訳文学の大きな収穫の一つ──レオ・ペルッツ著『夜毎に石の橋の下で』(垂野創一郎訳、本体二六〇〇円・国書刊行会)
No.3079 ・ 2012年09月22日




 「一五八九年の秋、プラハのユダヤ人街で子供たちが大勢斃れていた頃、婚礼の席で余興を演じて生活している二人の貧しい白髪の芸人が、聖ミクラーシュ広場からユダヤ人墓地へ通じるベレレス小路を歩いていた。」
 子供たちが大勢斃れていたのはペスト禍によるもの。二人の貧しい芸人はお供え銭を盗むために深夜にユダヤ人墓地を訪れるのですが、そこで白い衣をまとって踊る子供たちの亡霊を見ます。二人から亡霊の話を聞いた「高徳のラビ」はこの街にペスト禍をもたらす原因である罪科をその亡霊たちに糺し、ある人間の行った「モアブの罪(=姦通の罪)」が原因であるという答えを得ます。ラビは、街中の人間を集め罪人に前へ出るように申し伝えますが、だれも前へ出ようとはしません。街の人々の不誠実に怒ったラビは、禁断の呪文を唱えて子供の亡霊の一人を呼び起こします。その亡霊の口から真実を聞いたラビは、石橋の下であることを行います。その結果、街からペストはなくなりますが、同時に一人の女が息を引き取り、同時に神聖ローマ皇帝ルドルフ二世は突然悲鳴を上げ夢から目を覚ました、という奇妙な終わり方で、最初の短編は幕を閉じます。
 次の短編は一〇年後の一五九九年、やはりプラハが舞台ですが、こんどの主人公は二人のボヘミア青年貴族……というように、プラハとユダヤ人街が舞台であるということのみが共通している様に見える短編が連なりますが、一つひとつの作品の出来が素晴らしいうえ、次第に登場人物やディティールが重なり、最後には非常に手の込んだエピローグで見事に収束し、作者の卓越した構成力に酔いしれます。
 作者のレオ・ペルッツが処女長編『第三の魔弾』を発表したのは一九一五年のウィーン。奇しくもその年はプラハでカフカが『変身』を発表した年に当たります。『第三の魔弾』はカフカというよりはシュテファン・ツヴァイクばりの歴史小説ですが、この『夜毎に石の橋の下で』の舞台はプラハであり、私としては奇妙な暗合を勝手に感じざるを得ません(プラハに詳しい方なら、「石の橋」と聞いただけでピンと来るでしょう)。一八八二年にプラハで生まれ、一八歳(すなわち一九〇〇年)にウィーンに移住したペルッツは、まさしくE・T・A・ホフマンからウィーン世紀末に連なる後期ロマン派の幻想性を継承しているばかりではなく、「ユダヤ人街」という街の中の「異界」を舞台に設定することによってユダヤ人の歴史や悲哀といったものも取り込む大きな小説的な器を持ち、しかも「閉じない謎」を連ねるというモダニズムも併せ持つ優れた作家です。『第三の魔弾』に続いて翻訳されたペルッツの作品『最後の審判の巨匠』(晶文社)は都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか?』で某有名アンチミステリ作品の先駆けとして紹介されたそうですが、それもむべなるかな、です。クラシックで端正なスタイルであり、たっぷりの幻想性や抒情性も持ちながら大きな小説的構造も持つこの作品は、今年の翻訳文学の大きな収穫の一つであるのは間違いありません。







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