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評者◆阿木津英
iPhone替わりの短歌、なのか。──保存版クラスの資料となった『短歌研究』八月号特集「結社誌と戦争」
No.3079 ・ 2012年09月22日




 昭和七年創刊の『短歌研究』が、ことし八十周年を迎えた。戦中戦後の厳しい時代を、発行元を何度か変えながら続いた、現存するもっとも古い短歌総合誌だが、八月号では「結社誌と戦争」を特集している。
 『槻の木』『潮音』『覇王樹』『ポトナム』など八結社の、半ば強制的な雑誌の統廃合や、軍部の検閲、占領軍の検閲をくぐっての発行の苦難を、それぞれ関係者が当時の雑誌資料や聞き書をもとに綴っている。
 〈間「結社誌」誌〉としての短歌総合誌だからこそなしうる企画で、保存版クラスの資料となった。地味ではあるが、これまでにない新鮮な企画だった。
 また、同特集の、篠弘とノンフィクション作家梯久美子との対談「戦争を短歌はどのようにうけとめたのか」においても、短歌は文学なのか記録なのか、当事者の短歌とメディアを介した短歌の是非、といった古くて新しい問題を考えさせられる。
 同様の問題を、『新日本歌人』九月号時評「地震・津波・原発災害への歌人アンケートから(完)」において高島嘉巳も論じている。アンケートでは「直接被災(者)の歌にリアリティを強く感じ」「映像をなぞった」だけの歌が忌避される傾向があったというが、それは予測のつくところだろう。先の対談でも、小説家である梯久美子からすれば、短歌の魅力は何より戦地という現場でそのときその当事者が詠んだ記録性なのだという。
 しかし、時評で高島が「どのような人間」が「どのような言語(表現)をもって」為したかが問題だと結論するように、短歌を単なる記録の具としてしまうところには歌人なら誰でも躊躇するだろう。だいいち昨今、ドキュメンタリーとしての衝撃なら簡便に全世界に誰でも発信できるiPhoneのようなものがあって、映像の方が短歌などより記録性ははるかに優れる。
 それでもまだYouTubeなどより歌を読む価値があるだろうか。歌はせいぜい選択肢の一つなのか。生の映像から受ける衝撃や感銘とは全く別種の、短歌ならではの心を掴まれる、読むたのしさ・おもしろさはあるのか? あるとすれば、それはどこから来るのか?
(歌人)







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