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評者◆杉本 真維子
よそ者
No.3078 ・ 2012年09月15日




 夏、自転車で近所を走っていると、意外な場所で、小さな夜祭の灯を見つけた。そのたび、一瞬めまいがして、町内会の半被を着た人たちを横目に、よそ者としての自分を意識した。その居心地のわるさに身を浸すことが、じつは好きだった。山から下りてきたきつねのような気持で、葉陰から、人間の世界の眩しさに、見とれていた。
 最近は、これは見ようと決めている祭りがあるので、そこへ向かう。毎年8月の1、2日に行われる花園神社の盆踊り。新宿の繁華街の近くにあるせいか、会社帰りのOLさんやサラリーマンが、仕事鞄を肩に提げて踊っている。いかにも愉しい気持のまま、ふらっと踊りの輪に加わった、という感じがいい。初めて見たときは、その姿が不思議だった。自意識のようなものをぽんと投げだしていける心が、うらやましかったのだ。
 私は踊れないので、ただ見ている。それも、一人で心ゆくまで見ているのが好きだった。でも今年は、一人ではなく誰かと見たいと思った。Sさんにメールをすると、来てくれるというので、よく見える場所を陣取って待っていた。駆けつけてくれたSさんは、しばらく普通に見ていたが、東京音頭は難しくなさそうだね、と腕の振りを真似して私が言うと、同じように腕を動かし、気づいたら踊りの輪のなかに入っていた。
 ついに踊った。その些細な出来事に、しずかに感動していた。頑なに無理だと思っていたことが、一瞬でできてしまったのだから。輪のなかに入ると、今まで見えなかったものが見えた。櫓の上で連なっている提灯が、踊っている人の顔に照りつけて、笑顔と汗をきらきらと揺らしている。足元に土埃が舞う。輪に吸い込まれるように、ゆっくりと移動し、踊りだした位置が反対側に見える。彼岸と此岸。ただ移動しただけなのに、景色がぐらりと変わり、今という歴史の切っ先にいる、という感覚が、生々しくやってきた。中心の櫓だけがずっしりと重かった。そこに命を預けたかのように、身体は、軽く、はかなく、舞っていた。
 リクエストはありますか、という民謡歌手の声に、小声で八木節とこたえた。八木節! みなさん若いですね、と歌手が言う。やっぱり人気があるんだなあ、と思うと同時に、「若い」の意味を考えた。踊りが激しくて難しいということかもしれない。
 八木節とは、群馬の民謡で、歌詞は諸説あるらしいが、任侠・国定忠治を主人公にしたものが有名だ。自宅に「日本の民謡」というCDがあって、初めて聴いたときから、鳥肌が立った。花園神社では必ずこれが流れる。そのたび「血が騒ぐ」という感じをはっきりと覚える。ほんとうに血なのだ。心というより、身体が反応する。帰宅して改めて調べてみると、ロック八木節、なんてものもあるらしい。とにかく、ほかの民謡とは違う魅力があるのだ。
 そんなわけで、今、国定忠治に夢中である。権力に絶対に屈せず、天保の大飢饉では賭場の収益金を貧しい者に分け与えるなどし、人望を集めた。やくざになりたいと申し出る多くの者を諭し、やくざの道に入らせなかった。幕府の威信を脅かす存在として捕縛の的となり、磔刑となって41歳で世を去ったが、磔刑という壮絶な姿を晒されても、弱音一つ吐かず、権力への抗議を無言で示した。その八木節の歌いだしにはこんな歌詞がある。
「またも出ました三角野郎が、四角四面の櫓の上で、音頭取るとはお恐れながら…」
 三角野郎という比喩が面白い。四角四面が堅気の場所、あるいは大切な命なのだとすれば、三角とは、あらゆるものに角を立て、何にも屈せず、自分の信じた道を貫く「野郎」のことだろうか。つまり忠治のことだろうか。私は女だが、こんな男になりたいという思いは憧れなのか何なのか、わからないまま、自分の腕の血潮をそっと見た。







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