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評者◆阿木津英
一小詩形がもつ希望――日本のマス・メディアによる下部装置から放たれて
No.3074 ・ 2012年08月11日




 アメリカや中国のデモはすぐ報道するのに、金曜日夕方官邸前で大飯原発再稼働反対抗議行動が毎週つづけられ、それが万を超える数になっても日本のマス・メディアは報道しなかった。官邸前ばかりではない、全国各地でおこなわれている同様のデモを、マス・メディアは無視している。事件ものやくだらない芸能ネタをトップ・ニュースにすることで、生と生活にかかわる人々の切望を隠蔽するのがマス・メディアだ、ということを、わたしたちは知ってしまった。政界・官界・財界・報道の結託によって国民が奴隷化されつつあるのではないかという不安を覚えないではいられない。
 そんな今日、思われることは、短歌とマス・メディアとの関係である。ラジオ・映画・大衆新聞によってメディアが大衆化したのは昭和初期であり、日中戦争勃発後、映画ニュースや報道写真・新聞記事を積極的に短歌化していったのは斎藤茂吉であった。
 戦後はテレビさえ加わって、遺伝子をそのまま受け継ぎ、阪神大震災・湾岸戦争・オウム事件・9.11事件・東日本大震災など、事件が起きるたびに、歌壇雑誌はマス・メディアによるニュース記事・テレビ画面から取材した歌で満載された。もちろん、震災には当事者の歌があるが、わたしたちはそれをインタビュー記事のように読んでいる。それさえ報道言語を大きく超えないのである。
 短歌が、大衆化したメディアの拡声器となり、官製の情報を毛細血管までゆきわたらせる装置となり、世論操作の結果を確認する世論調査のごときものとなり果ててきたこと。そういう装置としての短歌の側面を、これまで反省したことがあっただろうか。
 マス・メディアによる情報がわたしたちの環境と化し、作られた価値をそのまま内面化してきたこと。「そんな歌が読みたいのではない」という心底の呟きはつねに隠されてきたこと。  五句三十一音は小さいけれども、一つの完成した独立した詩形である。この小さな詩形が一つ一つ、心底から独立した声を発するその時――思い思いの手作りのプラカードを掲げる列のなかで、わたしは「その時」を思い浮かべた。
(歌人)







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