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評者◆別役実
東京モノレール
No.3073 ・ 2012年08月04日




 一見して、遊園地によくある子供の乗り物のようなシロモノである。少なくとも、最初に浜松町と羽田空港をつないで営業運転を始めたそれは、そのようなものであった。「まともな成人がシラフで乗るにはちょっと」というたぐいのものだったのである。
 しかし、当初は都心から羽田空港へ行くには最も便利なものだったということもあり、乗り慣れているうちに、玩具は玩具なりに、風景になじんでしまった、というわけであろう。現在は、品川から羽田空港に直通する、まともな電車も走っており、私のように渋谷に出るものは、その方が速いとも言われているものの、私は未だにモノレールを利用している。
 もしかしたら長い間の習慣で、「羽田に行くならモノレール」というシバリが出来てしまっているのかもしれない。羽田からモノレールに乗って浜松町に着くと、羽田に着いた時と同じように、「やあ、帰ってきた」という感じがするのだが、電車に乗って品川に着いた場合は、それがない。電車の品川駅は、あくまでも経由地なのであり、それが物足りないのかもしれない。
 浜松町というのは、JRで品川、田町、浜松町、新橋と並べてみた限りでは、単なるひとつの駅に過ぎないが、羽田からモノレールで帰り着いてみると、ひとつのターミナルの趣きがある。モノレールの終着点になったから、そこにそうした趣きが出来たのか、浜松町の駅に本来そうした趣きがあったから、そこをモノレールの終着点にしたのか、その点はどちらかわからない。
 ただ私は、そんなことはどうでもいいようなものの、後者の説を採る。つまり、浜松町には、ターミナルとするにふさわしい何かがあるのであり、だからこそモノレールの計画者は、新橋や品川ではなく(こちらの方が駅としては大きいが、経由地になってしまうであろう)浜松町を終着駅にしたに違いない。
 では浜松町のターミナルとするにふさわしい要素とは何か。最も大きなものはすぐ近くに港があり、海に向かって開けている、という点ではないだろうか。その港も横浜や神戸のような、外来船がやってくる華々しいものではない。近くの島などを結ぶ近海航路の船が着く、一見して「場末の港」という感じの波止場である。
 一度私は大島へ渡るため、この港から船に乗ったことがあるが、これは何のせいだろう、どこか新しい世界への船出というよりは、「都落ち」という感じがしてならなかった。大島からもどってこの港に着いた時も、東京に帰ってきたというより、どこか「ハズレ」の場にたどり着いたという感じしかしなかったのである。
 恐らくこのせいだろう。この「場末の港」というにおいが浜松町の駅に及んでおり、従ってターミナルにふさわしい寂寥感のようなものを漂わせているのだ。このことは、モノレールのもう一方の終着駅である羽田にも言えることである。モノレールの着く地下のホームも、屋上に出て見る彼方の海も、何となくもの淋しい。「始まり」というよりは、「涯て」の感じがするのである。
 もしかしたらモノレールは、その玩具のような車体にもかかわらず、何とか大人の乗り物たり得ているのは、その終着駅のニュアンスによるのかもしれない。私は、羽田近くになって車両が、ゆっくりと地下へもぐっていくのも嫌いではない。それによって車体が玩具であることを忘れさせ、リアリズムの世界に入りこむことが出来るからである。
 浜松町の港へ出る反対側に向かうと、京浜国道を越えて、芝大門、増上寺となり、芝大神宮も近く、かつての「芝」の中心地となるわけであるが、現在その面影はない。私は、東京土建という労働組合の書記局で働いていた当時、事務所が田町にあったせいで、よくこのあたりに飲んだり食べたりしに来たのだが、そのころからもう「うらぶれた街」という印象が強かった。何やら、モノレールの駅と港の「涯て」のイメージが、かつてあったその街のにぎわいを、吸い取ってしまったようである。
 私がこのモノレールで一番気にいっているのは、車窓から馬を見るところがある、という点である。大井競馬場のかたわらを走っているのであり、私は競馬をやらないから降りたことはないが、その近くになるとほぼ必ず、車窓から外を見ることにしている。
 あのような場所で、あのような乗り物の中から馬が見える、というのは、どうも不思議な感じがし、得難い体験をさせてもらったような気がするのだ。もちろん、馬には気の毒な感じがしないでもない。私が感動するのは、あり得ない場所にそれを見るからであり、ということは馬に、ふさわしくない場所を強いているということにほかならないからである。
 田舎へ行くと、車窓から自然が広がり、そこにふさわしい動物がいたとしても、ちっとも不思議ではない。しかしモノレールの沿線にはそれらしい自然はないのだ。もちろん公園とか、それらしいものはいくつかある。現に浜松町の駅を降りたすぐのところに、「旧芝離宮恩賜庭園」という、御大層な名前で呼ばれている庭がある。私は一度だけ入ってみたことがあるのだが、周囲のビル群に囲まれて、「ホッ」とするというよりはむしろ、息苦しい思いがした。何となく、「緑を大切にしてるよ」ということを主張するために、無理に囲いこんだ場所のようで、好感はもてない。
 それよりはそうでない場所に馬をうろつかせて、或る痛ましさを感じさせた方が、よっぽど自然に対する愛着を呼び覚ますのではないかと思うが、どうだろうか。ともかく、これはかなり貴重な光景である。キャッチ・フレーズに、そんなものがあるのかどうか知らないが、私なら「馬が見られる」という一言を入れて、モノレールへの呼びこみとしたいところだ。
 それ以外に、モノレールの車窓から見えるものは、「海」だろう。「東京湾」である。ただし、これを海とせずに「海」とし、東京湾とせずに「東京湾」としたのには理由がある。実は、浜松町から羽田へと、東京湾ぞいに海岸線を走っているにもかかわらず、モノレールからはほとんど、海は見えないのである。
 もちろん、それが海から引き込まれたであろうと思われる水辺は見える。本来は海に続く運河と言うのだろうが、運河よりはもう少し開けていて、その先に海を予感させてくれている。しかしそれは海ではないのだ。
 しかも悪いことに、羽田へ近付くに従って水場の量が多くなり、「もうじき海となって開けるぞ」と期待させるのである。そうしておいて、何やらチラと見せたようなふりをして、そのままトンネルに突っこむ。これがどうも、乗客たちの精神衛生によくない。「どうせなら、はじめから海なんか見えないよと、知らせておいてほしい」というわけだ。
 東京・大阪間の新幹線に乗っていると、よく晴れた日など車内放送で、「進行方向右手の車窓をごらん下さい。本日は富士山がきれいに見えます」と知らせてくれる。あれはいい。別に富士山など見なくてもかまわないが、知らせてもらってチラとでも見ることが出来ると、行った先で「今日、新幹線で富士山を見たよ」と、話をすることが出来る。「へえ、それはよかったね」と、自分ではよかったと思っていなくても、よかったことにしてもらえるというわけだ。
 これと逆に、モノレールの車内放送であらかじめ、「左手の車窓をごらんの方、海はごらんになれません」と、知らせておくのはどうだろうか。期待しないで乗っている分だけ、平静を保っていられる。
 モノレールに乗る人は、たいてい羽田から飛行機に乗る人か、飛行機で羽田に着いて、都心まで帰ってくる人だと思っているので、途中で下車したり、乗車したりする人を見ると、「おや、どういう人だろう」と思ってしまう。駅があるのだから当然であるにもかかわらず、浜松町と羽田の結びつきばかりがこちらの念頭にあるせいであろう。
 実は私自身、浜松町と羽田以外、品川に近い天王洲アイルにしか降りたことがない。ここに劇場があって、何年か前、チェーホフの『三人姉妹』を底本にした『千年の三人姉妹』という本を上演したことがあったのである。上演期間中、何回か通っただけであるから、乗り降りしたのは十数回だったと思うが、駅から劇場まで建物の中だったせいか、「はい降りました」「乗りました」という、歯切れのいい体験感がない。何となく、車内を移動しただけ、という感じなのだ。大井競馬場へ行って、馬の走るのでも見てくれば、「降りました」「乗りました」を、もっとありありと体験出来るかもしれない。
 ともかく私は、身近にあるモノレールとして、浜松町・羽田間のそれしか知らなかったが、そしてそれが唯一のものだと思っていたが、いつの間にか、あちらこちらに別のモノレールが出来ていたらしい。それぞれ乗ってみたいとは思っているものの、私は乗り物マニアでないから、用のないのに乗るほどの情熱は持ち合わせていない。
 乗り物にはそれぞれ生活感というものがある。そして私は、それに従って好みを寄せたり、そうでなかったりする。単に新しかったり、珍らしかったりするだけでは、興味をひかれないのである。
(劇作家)







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