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評者◆沢田史郎(丸善津田沼店、千葉県習志野市)
読んで平和を実感してみては?――浅田次郎著『終わらざる夏 上・下』(本体各1700円・集英社)
No.3073 ・ 2012年08月04日




 一九四五年八月十八日、千島列島の北端に位置する占守島が、突如ソ連軍の攻撃にさらされた。島に残っていた日本軍守備隊は、民間人が避難する時間を稼ぐため、援軍も補給も期待出来ない絶望的な戦いを開始する――日本のポツダム宣言受諾が公表され、ほぼ全ての戦線に於いて連合国側が積極行動を中止したその後に、新たに勃発した知られざる戦争。『終わらざる夏』は、史実の隙間を想像力で補った、著者渾身の群像劇だ。
 ……とは言うものの、実は戦闘の具体的な描写は殆どなく、終盤になって僅かに回想的に語られるのみ。ならば、その他ストーリーの大半を占めるのは何かと言うと、「戦時下」という異常な環境で暮らす普通の人々が、何を諦め、何を望み、何を捨てて生きたのか。それが複数の人物――ヘンリー・ミラーの翻訳を夢見る編集者や田舎の英雄に祭り上げられた傷痍軍人、人でなし呼ばわりされながら赤紙を届ける役場の担当や、缶詰工場で勤労動員に勤しむ女学生、そして集団疎開中の教師と生徒など――の視点から時に淡々と、時に情熱を以て語られる。
 即ち本書で浅田さんが描いたのは、「戦争」そのものの恐怖ではなく、「戦争が人々の幸せを奪っていく過程」ではないかと私は思う。そして、登場人物たちの様々な言動から響いてくるのは、「戦争という名の殺し合いに、勝ちも負けもない」というメッセージ。だってさ、たとえどんな勝ち戦だろうと、大切な人が帰ってこないんじゃ意味ないじゃん。逆の言い方をすれば、無事でいて欲しい人が無事でいてくれさえしたら、戦に勝とうが負けようが、んなこたぁどーだって良いと皆さんだって思うでしょ?
 例えば帚木蓬生さんの『ヒトラーの防具』(新潮文庫)を読んだ時にも感じたことだけど、こういう本を読むと、平和な時代の平和な日本に生まれたことを、神様とか仏様とか両親とかに感謝せずにはいられない。
 試しに皆さんも、ちょっと想像してみて欲しい。自分にとってかけがえのない人――年老いた親や長年連れ添った伴侶、育ち盛りの息子や娘、或いは華燭の典を控えた許嫁や胸中深くに秘めた想い人、等々――を残して出征してゆく自分、或いは残され見送る立場の自分、もう会えないと覚悟を決めながら笑顔で手を振る胸の内、帰ってこないと知らされて尚、頑なに帰還を待ち続ける気持……。古来〝蔭膳〟なんて風習が日本にはあるけれど、出征先の誰かを想って蔭膳を据えるその胸中は、想像するに余りある。
 登場人物たちのそういった「絶望」は、重奏低音のように深く重く全編に亘って響き続ける訳だけれど、そうであるが故に、ほとばしり出る「希望」が読む者の胸を圧倒する場面がある。言うまでもなく、戦争が終わりを告げる瞬間だ。とりわけ、一人の女性教師が疎開先のお寺の境内で、生徒たちと一緒に終戦の詔書に接するくだりは、一度読んだら忘れられない。【朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み……】雑音混じりのラジオから流れる難解な文章を、全身を耳にして聴きながら「戦争よ、終われ!」と全霊で祈る彼女たちの、胸の鼓動まで聞こえてきそうな文章は、読んでるだけで息が詰まるような緊迫感。そして圧巻は、遂に戦争が終わったと確信するシーン。突き上げるような激情を懸命に抑え込もうとする登場人物たちの姿を読んでは、おめでとうと祝福しながら涙を拭う他はない。
 例えば受験に失敗したり就活に手こずったり、好きな女の子に手ひどくフラれたり上司にこっぴどく叱られたり、生きてりゃ色々あるけれど、「それでも、戦時下よりはなんぼかマシだ」と、心の底から思える筈。終戦記念日も近いことだし、読んで平和を実感してみては?







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