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評者◆花本武(ブックスルーエ、東京都武蔵野市)
ド傑作小説! 読むべし!!――前田司郎著『濡れた太陽――高校演劇の話 上・下』(本体上1600円、下1700円・朝日新聞出版)
No.3071 ・ 2012年07月21日




 常日頃から小説をあまり読まない。理由は簡単でそこに書かれていることは、とんだ嘘っぱちだからだ。あまり多くない余暇の時間には、本当のことを知識として肥やしにしていきたいと考えてしまうのだ。こんな説をきいたこともある。ノンフィクションは、どんなに駄作でも読んだ時間を丸損することはないが、フィクションは何一つ得るものがない、といった作品が存在する、というものだ。その説には少し怯える者である。
 だがしかし! まれに優れたフィクションというものに出会ってしまうことがあって、その際の読書体験というものは、得る得ないなんて次元とは別のただ箆棒な塊を顔面に投げつけられるような衝撃をもたらすことがある。その「感じ」はノンフィクションでは決してもたらされないといえる。前田司郎『濡れた太陽』はド傑作だ!!!
 この小説は高校演劇の話である。丁寧に副題にそうあるので間違いない。その生真面目すぎる副題は前田の罠である。韜晦なのである。主人公の高校生、太陽がどこまで前田自身の高校時代の姿をトレースしているかは、窺い知れないところだ。前田を知る者、五反田団の演劇を愛する者であれば即座に、前田演劇のルーツがついに開陳されるのか、と身構え、そのキャラクターの一挙手一投足を注視することとなる。
 だがこの本を読むべき層を前田ファンに限定してはならない、と良書普及を強く志す書店員としての使命感が警告する。小説が好き、青春小説をよく読む、五反田団? えっなにそれ? って中高生なんかじゃんじゃん読めばいい。とくに体育が苦手で、「モテ」に過剰防衛しがちな奴、全員必読。執拗なまでに「モテ」が考察される小説でもある。なにかと不自由な想いを抱えていた学生時代の自分にも読ませたい。
 演劇のこっ恥ずかしさに自覚的な人間が作る演劇。そういうものの成立過程を高校生の群像劇というフォーマットに落とし込んで、自らの作劇スタイルを開陳していく本作には、そのサンプルとしての劇中劇が挿入される。それこそは、前田が高校時代に実際にものした処女戯曲「犬は去ぬ」である。これが上演されるに至るまでの道のりは、堂々の大河ロマン的な険しさがある。(前田文学の特徴は「~的」といったチャラい言葉が平然と使われることにある)。
 太陽には才能があり、そのことに自信を持っている。ときに揺らぐこともあるが、それは一時の不安を解消するための術とボキャブラリーを持ち合わせていないということに過ぎない。基本、太陽はふてぶてしいのである。いわゆる憎めないキャラという言葉があるが、そのギリギリ「憎める」けど魅了される主人公を据えているのは地味に新しい。そして「才能」の有無がもたらす人間関係の難しさが重要な主題として立ち上がる。「モテ」と「才能」の有無がドラマの要所要所でぶつかり合う。
 太陽は最初は帰宅部なのである(それでくすぶってたときに呟かれる、おれは帰宅部としても二軍かもしれない、って箇所には爆笑を禁じえなかった)。曲折の末に演劇部を乗っ取ろうと企み、仲間らと大挙入部することになる。部長の妙子による戯曲、演出に不満で自分がやったほうが絶対面白くできると息巻くものの、そうそう簡単に事は進まない。妙子は優れたリーダーで人格者なので周囲に慕われているが、才能を持っているわけではない。その葛藤は重い。妙子と太陽の才能をめぐるちょっとした反目や共鳴、理解とちょっとした慕情が描かれるのはこの小説の白眉である。
 余談になるが五反田団の新作「宮本武蔵」を観てのけぞった。才能がすっかり野放しにされている……。







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