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評者◆新井満
鴨長明が生きた八〇〇年前と現代は同じことを繰り返している――都は食糧から生活物資まで、すべてを地方に頼って生きてきた
自由訳 方丈記
新井満
No.3069 ・ 2012年07月07日
『千の風になって』で一世を風靡した新井満氏の手によって『方丈記』の自由訳が完成した。奇しくも今年は鴨長明が『方丈記』を著わした一二一二年から八〇〇年目にあたる。
新井氏が初めて『方丈記』の全文を読んだのは高校三年の頃、一九六四年の新潟地震の後だという。 「地獄でした。忘れもしない、昭和三九年六月一六日午後一時二分。そのときの恐怖で、身体に傷はなかったけれど、心に重傷を負った。そのトラウマが一年後に出て、ストレス性の十二指腸潰瘍を患って救急車で運ばれた。開腹したら血まみれだった。一度心についた傷は消えてくれません。けれど、目に見えないから治しようがない」 新井氏は昨年、岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」について『希望の木』という本も出している。 「自分も被災者だった経験から、作家として被災地の人々に向けてできる応急処置が必要だと思いました。私自身、一時は夢も目標も希望もない、ただ生きているだけ、という時期がありました。そういうとき、「いっそ死んだ方が楽だ」と思ってしまう。同じようなことが3・11のあとの被災地にも起こっているだろうと想像しました。「こんなに悲しい目に遭うならば、あのとき一緒に流されれば良かった」と、助かった人に自殺願望が襲いかかってくる。『希望の木』では家族を失った少女の松が、命のバトンリレーをするために生きていこうと決心する。死ぬのではなく、生きようと決心する。たくさんの人たち、家族を失った人たちを励ます、勇気づける本を書きたかったのです。そちらを終えてから『方丈記』に再び取りかかり、気付くと二〇一二年になっていました」 今回の自由訳は全体を20章に割り、タイトルが付いたことによって、個々のテーマが掴みやすくなっている。また、従来の「現代語訳」→「解釈」→「原文」という三段構成ではなく、現代語訳と解釈が一つになって意味が通る自由訳というスタイルは、古文になじみのない読者にとっても読みやすい。新井氏は『方丈記』の構成を、前半は「災害文学」、後半は「人生論」であると分析している。地震、津波、竜巻、火事、飢饉という天災に見舞われ、遷都の失敗や政治の無策という人災が重なる。長明の生きた八〇〇年前と現在の日本は同じことを繰り返しているように見える。 「長明が言っていた「都は食糧から生活物資まで、すべてを地方に頼って生きてきた」構造はいまも全く変わってない。地方がなければ、東京は生きていけません。ひとたび飢饉が起これば、地方からは何も運ばれてこなくなる。「大都会の地方頼み」。これは日本と世界の関係にも言える。しかも、それをみんな忘れてしまうんです。地震の直後こそみんな備えているけれども「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、3・11の教訓もどんどん風化しつつあります」 ――地震の直後こそ平安京の人々は、この世が無常であることを言いあったので、煩悩もいくらか薄らいだように思われた。しかし、歳月が過ぎてゆくうちに誰もそんなことを口にする者はいなくなってしまった(同書p.53)。 京都の日野山に方丈庵を構えた鴨長明と、北海道に山小屋を構えた新井氏。どこか似ているような気がするが……。 「二十年前から北海道に小さな山小屋を持っておりまして、三年前に本格的に移住しました。豚や山羊や羊に囲まれて、テレビもラジオも聞かない。移住を決めたとき、友人や知人はあきれて理解してくれなかった。なぜこんなに便利な東京を離れるのかと。文化は都会にしかないと思っているのでしょう。誰も羨ましいなんて言わなかった。それが、3・11以降印象が変わった。「俺も行こうかな」という人が出てきた。 3・11から一年が経った。けれど、復興は進まない。「古京すでに荒れ 新都いまだ成らず」「この国はいったいどうなってゆくのだろう……」、多くの人がそういう心境にあるんじゃないかな。八〇〇年前と八〇〇年後の今が似ている。政治家に対する不信であるとか不安。その普遍性から、いよいよ鴨長明の書いた『方丈記』は現代においても「二一世紀文学」であるということができると思う。このタイミングで出たのは偶然なんですがね」 広告プロデューサーという華やかな経歴からは想像できなかった、意外な素顔に会うことができた。新井氏のしなやかな自由訳が古典を読み直す機会を与えてくれる。偶然ではあるが、今年は『方丈記』を読むのにぴったりの年だ。 ▲新井満(あらい・まん)氏=新潟県生まれ。上智大学卒業後、電通に入社。作家、作詞作曲家、歌手など多方面で活躍。1988年には『尋ね人の時間』で芥川賞を受賞。2003年に発表した写真詩集『千の風になって』は、同名のCDとともにロングセラーになっている。 |
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