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評者◆板倉厳一郎
何も考えない人になるよりは誤解するほうが頼もしい――大ベストセラーを超高密度に論じたマジカルな一冊
大学で読むハリー・ポッター
板倉厳一郎
松柏社
No.3068 ・ 2012年06月30日




 世界的大ベストセラーの“ハリー・ポッター”シリーズを題材に、「宗教」「性・ジェンダー」「植民地主義」など七つの学際的テーマに沿って、文化・文学研究の基礎を指南。英文学者である板倉氏が、自らの講義を基に上梓した。「大学で読む…」とあるが、対象は学生だけに留まらない、圧倒的なポテンシャル。ブルデューやソンタグなど社会哲学や批評理論も取り入れた超高密度な議論を展開しているのだ。一例を挙げると、「ハリー・ポッターと映画監督の陰謀」では、“作家主義”や“ショット・リバース・ショット”の解説があることからも、非常なたくらみに満ちていることが分かるだろう。
 「私の世代では理由がないとハリー・ポッターを読もうということにはなりません、残念ながら(笑)。最初から好きだったと言いたいのですが、流行っているから読んでみようという形でした。そして授業で使っているうちに面白いと思うようになりました。例えばジェンダーの問題を取り上げる場合にしても、作者本人が“ダンブルドアはゲイである”と言ったにもかかわらず、本当にそうなのかどうかは作品を読んでも分からない。何しろ長い作品ですから、宗教や植民地主義、病などのテーマにも、いろいろな感情やイデオロギーがせめぎあっている。作者の中にある矛盾や葛藤が出てきている部分が非常に面白い」と話す。
 本書には学生の発表も盛り込まれている。その充実したやりとりは、学生の授業意欲低下の問題を考える際、示唆に富む。“教える”だけでなく、“教えられる”というインタラクティブな関係性が感じられるからだ。「大学の先生に対しては、こんなに優秀な学生がいますよと知らせたい。この四月にも、“ハリー・ポッターとキリスト教”というテーマで話をしたときに、ハリー自身をイエス・キリストになぞらえたり、ヴォルデモートと『失楽園』のサタンを比較したり、多彩な読み方をしてくれました。私自身考えてもみなかったことを言われることで、“じゃあ調べてやろう!”という気持ちになることがたくさんあります。学生には、“僕の説に従わなくていいよ、間違ってもいいからとにかく他人と違うことを書いてみようね”と言っています。それが浸透すると、“ひょっとしたらこれは関係ありませんか?”という声が出始めます」と語る優しい口調に表れている人柄も、学生の意欲を引き出す役目を果たしているのだろう。「先生から“お前は間違っている”“お前は読めていない”と言われてどれだけの学生が傷つき興味を失ったか。そうやって黙らされると、何も考えない人になってしまう。自分で考えて誤解するほうが頼もしいですよ」とエールを送る。
 最も異色の章は「ハリー・ポッターと英語の教室」。二〇ページ程度だが、そこらの“ハウツー本”とはワケが違う。氏の経験が凝縮された語学学習のエッセンスが詰まっているのだ。「学生のほとんどは、発音に強いコンプレックスを持っています。この章では、やり方を間違えなければ、誰だってうまくなれるというメッセージを出しました。これまでの発音練習に関する本は、「ア」の発音の仕方から事細かに解説している。これでは挫折するに決まっています。自分の経験からも、リズム、イントネーション、そして子音の三つだけ直すことから始めています」。また、弱く読む部分は「母音を弱くして子音は弱くしない」のがポイント。「子音も弱くなるのですが、日本語では母音をはっきり言わないと通じないように、母音の分量がすごく大きい。だから英語を話そうとすると、母音が強くなり、子音が弱くなってしまう」と指摘する。強勢のある音節を等間隔で、かつ子音を意識して読むだけで、まるで自分の英語がネイティブのように変わった。ぜひ手に取って試してみてほしい。
 実は表紙絵も挿絵も、すべて氏の手によるもの。「価格を抑えるために」と言うが、出来栄えの見事さに驚く。「もともと絵を描くのは好きだったのですが、高校の美術部の同級生がとんでもなくうまかったので、その道は諦めました。内容的には自分の授業紹介の部分があるなど手作り感のある本なので、それなら全部自分で描いてみてもいいかなと。表紙に学生を描こうと思ったら、一人が自分の学生に似てしまったので、全て学生および同僚をモデルにしました。本書を作るに当たり、学生の協力が大きかったので、その感謝の表れですね」。中でも気になっている絵があるとか。「(ミシェル・)フーコーの絵が、ヴォルデモートに似ているんですよ」と顔を綻ばせる。
 本書を開くと、そこに見えるのは、単なる語学学校からはたどり着けない始発駅“9と3/4番線”の入り口。ひとたびページをめくれば、“ホグワーツ特急”に乗車気分で、めくるめく文化・文学研究の醍醐味を味わわせてくれる。そんなマジカルな一冊である。

▲板倉厳一郎(いたくら・げんいちろう)=1971年京都府生まれ。京都大学大学院博士課程修了、博士(文学)。現在、中京大学国際教養学部准教授。専門はイギリス現代小説、イギリス文化研究。著書に『魔術師の遍歴――ジョン・ファウルズを読む』(松柏社)など。







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