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評者◆秋竜山
嘘のようなワラゾーリ、の巻
No.3067 ・ 2012年06月23日




 昔話好きな人間は、他人をよろこばせるというよりも自分でよろこんでいるむきがあるようだ。そして、うまれながらに、「昔はよかったなァ……」という、典型的な昔話が好きであるようだ。昔話ばかりすることを他人がいやがるのは、「また、同じ話を……」と、なってしまうからだ。そんなことはわかっているが、そーなってしまう。それが昔話というものである。五木寛之『下山の思想』(幻冬舎新書、本体七四〇円)を手にした。
 〈時代は「下山のとき」である。(略)山に登る、ということは、三つの要素があると思う。〔一つは、山に登る、こと。〕〔二つ目は山頂をきわめること。〕〔三つは、下山すること、である。)その三つは、切り離しがたくつながっている。〉(本書より)
 山へ登ったら、下山して帰らなくてならない。登りっぱなしはいけない!! と、いう内容の意味である。本書のタイトル〈下山の思想〉とは、はやい話が、そーいうことだと思う。〈下山に失敗すれば、登山は成功とはいえない。登って、下りる。両方とも登山であり、山は下りてこそ、次の山頂をめざすことができる。〉と、いうことである。あたり前のことであるが、本書を読むと、その、あたり前も、深い内容をもったあたり前となってしまう。はじめに、昔話について書いたが、本書で昔話が語られている。〈ノスタルジーのすすめ〉という項目の中に〈ワラジと高下駄のころ〉というのがある。なつかしい。ワラジというなつかしきもの。高下駄というなつかしきもの。今の人にはわからない。昔の人にはよくわかる。わかるからこそ、胸にジーンとくるものがあるというものだ。
 〈いま考えてみると、嘘みたいな話だ。昭和二十年代の前半、つまり一九四〇年代後半の戦後の日本とは、そういうものだった。〉(本書より)
 まさに昔の話というものは、いま考えてみると、嘘みたいな話だ。その嘘みたいなことだからなつかしくて泣きたくなってしまうのである。今の人にはそれがわからない。よく考えてみると、かわいそうでもある。わかれというほうが無理であるだけに、かわいそうさはつのる。
 〈その村のはきものは、ワラジか下駄だった。ときに農作業のときに地下足袋をはく。〉(本書より)
 ワラジというより、私の場合は、ワラゾーリといったほうがいいかもしれない。親父が雨の日などは、土間でワラゾーリづくりをした。ワラゾーリづくりも親父にしてみれば、我が子の幼児の頃のちっちゃな足にあわせた、かわいらしいワラゾーリから年とともに段々と大きくなっていく。兄弟三人だから三人の足にあわせてつくった。あの時代の親というものがうらやましいくらいだ。学校へ行く時も家で遊ぶ時も、ワラゾーリだった。本当に、いま考えてみると、嘘のような話である。そんな嘘のようなワラゾーリをはいての生活であったから、他人のやることなすこと、いま考えてみると、みんな嘘のように思えてくる。でも本当だった。というのが昔話のいいところだ。このような昔話も語る人が段々とへっていく。その内に誰もいなくなってしまう。と、いうことは、そんな時代はもうやってこないだろう。東京の大都会をワラゾーリで歩いてみたい。東京の街も何センチ掘れば江戸時代というけどねぇ。







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