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評者◆秋竜山
謝れ!! と、謝るな!! と、の巻
No.3066 ・ 2012年06月16日
この本。佐藤直樹『なぜ日本人はとりあえず謝るのか――「ゆるし」と「はずし」の世間論』(PHP新書、本体七二〇円)というタイトルが眼に飛び込んできた。その時、トッサに頭に浮かんだのは。昔、林家三平が舞台で観客にむかって、「どーも、すいません」という有名な一言ギャグであった。〈なぜ日本人はとりあえず謝るのか〉と同様、三平は、その謝りの意味の文句を口にして、客を笑わせているのだ。三平が客にむかって、口にするから客が大笑いするのか。客が大笑いするから三平はその笑いを期待して、口にするのか。どっちにしても、三平の口から、その一言が飛び出すと、私なんか「アハハ……」と、笑った。その、一言ギャグが三平そのものであり、三平といったら、「どーも、すいません」ということになっていました。そして、いまだに、その「どーも、すいません」が三平として通用してしまうのである。そのようなことが頭をよぎった。その後に、やはり、〈昔は……〉ということになるのだが、よくいわれたものであった親などに。「まず謝れ」と、いうことだ。相手が謝る前に、こっちから「どーも、すみませんでした」と、口にして謝ること。本書の〈なぜ日本人はとりあえず謝るのか〉の、とりあえず謝るということをキビシク頭に叩き込まれていた。だから、謝るということは、あたり前のことであり、謝ることのできないことを恥とさえ思っていた。そのように子供の頃から教えられていたから、それが普通でもあった。ところが、私の記憶するところによると、昭和三十年代の後半ということになるのだろうか。謝れ!! ということが、謝るな!! に変化してしまったのだった。いったい何が起こったのか。日本中にひろまったのではかろうか。それも、こっちが悪いとわかっていても、けっして謝ってはいけないということだ。これはただごとではない。悪くなくて謝る必要はないのなら、それなりにわかる。それが、悪くても謝ってはいけないということだ。その意味は、アメリカでは「そーである」ということであった。日本という国は十年後に必ずアメリカでやっていたことが流行する。これは間違いなかった。その謝るな!! ということもそうであったのかしら。つまり、アメリカでは相手に対して絶対に謝らないということだ。謝るということは、こっちが悪いということを認めることになるからだ。裁判のとき不利になるということだ。その第一にあげている理由としては、クルマの事故の時だ。昔、日本人はクルマの事故があったとき、なにはともあれ、とりあえず、「すみません!!」と、こっちから先に謝った。すると相手も「いやいや、こちらこそすみませんでした」と、謝りかえしたものだった。そして、くわしい事故の内容が双方で協議ということになったのだ。先にこっちが謝ったから、こっちが悪いなんて発想にはビックリしてしまったものだった。しかし、日本中が、アメリカのようになってしまった。もし、クルマの事故が起きたとして、まず家に電話する。すると両親が、「いいかい、絶対に謝ったりしてはいけない」なんて、いう。そんな世の中になってしまったようだ。本書の「ゆるし」と「はずし」の世間論には意味深いものがある。
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