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評者◆別役実
都電
No.3065 ・ 2012年06月09日




 都電と言えば、現在東京には早稲田から三ノ輪橋までの、「都電荒川線」という一本しか走っていない。オドロクベキコトである。もちろんこのオドロクベキコトの内実は、私の東京で暮らした数十年の中で、大きく変わっている。最初は、「あれほど無数に都内を走っていた都電がなくなってしまったのかい」というオドロキだったのであり、今日になってのそれは、「まだ一本残っていたのかい」というものなのだ。
 私が東京へ出てきたころ、都内を都電が、それこそ網の目のように走りまわっていた。あのゴトンゴトンというレールの継ぎ目を越える音や、キシキシとカーブを切る時の音は、未だに耳についている。かつては「市電」と言っていたらしく、お年寄りなどがそう言っているのを聞くと、「ああ、古くから東京に住んでいたんだな」と羨やましく思ったりしたものである。
 私は都電が好きだった。上京したてのころ、何とか東京になじみたいと考え、暇さえあれば都電に乗り、そのあたりを走りまわることをしていた。東京都の区分地図帖を買い、その日に乗った都電の路線を赤エンピツで塗ったりしていたのである。
 恐らく、当時走っていた路線の八割くらいは赤エンピツで塗りつぶされていたのではないだろうか。果してそれで目論見通り東京になじめたかどうかはともかく、自転車に乗ったり、車で走ったりするのとは別の東京体験が出来たような気がする。
 言うまでもなく都電は(そして他の都市の路面電車は)バスにその座を譲って消えていったのであるが、私に言わせれば、それとこれとでは乗車体験というものが、大いに違う。私が都電ほどバスが好きではないのは、前者が街というものの線体験であるのに比較して、後者はそれの点体験でしかない、というところであろう。バスに乗った場合、レールという軌道に縛られていないせいであろうか、停留所と停留所の間が、何となく頼りなくて、確かめ難いのである。従って「次はどこだっけ」と、停留所を頼りに、つなぎとめつなぎとめしながら走ることになる。
 都電は、ほぼ道の真ん中を走っていた。現在バスも同じところを走っているが、停留所に近づく度に、歩道寄りに路線を変更しなければならない。この点もまた、バスの威厳を損うものとなっているのだろう。都電はそんなことはしなかったからだ。
 もちろんその代り、停留所で降りた客が、交通の激しいところでは道路の中央で孤立することになったが、それはしょうがない。一応そこには安全地帯として、狭いながらもホームらしきものが出来ていたし、そこに立って左右を流れる車をやりすごす気分も、悪くはなかった。
 と言うわけで、銀座とか、新宿とか、渋谷とか、池袋とかの大通りを走り抜ける時、都電はその乗客に、いわば「王者の気分」をもたらした、と言っていい。しかも料金は、当時最も安かったであろう。
 それらが全部地上から消えて、暫くたってから私は、「いや、まだ一本残っているよ」と、都電荒川線のことを知った。しかもそれは、他ならぬ早稲田から出ているのだ。
 私がまだ早稲田の学生だったころ、「ワセダのウラモン」(正式名称かどうか知らないが、我々はそう呼んでいた)の所に都電の車庫があり、そこから何本か、各方面に路線が伸びていた。当時は「日米安保反対闘争」のさなかで、ほとんど毎日のようにデモがあったのだが、都電を一台貸切りで、そこから現場までデモ隊を運んだりしていた。
 私も何度かそれに乗ってデモに参加したのであり、ただしそれは、デモが目的だったというより、都電が従来の路線からはずれて、異なった路線を走るのを楽しむためと言った方がいいかもしれない。どこをどう通ったのか今となっては覚えていないが、ほぼ目的地は国会議事堂かその近くであったから、そのあたりの広場へ向かったのであろう。
 この「ワセダのウラモン」にあった車庫は既になくなり、ただ都電荒川線の停留所があるだけになっている。そして奇妙な話だが、私はかなり多くの都電を乗り尽してきたにもかかわらず、そんなに身近にあったこの線だけは、JRの大塚駅に交差する部分にしか、乗っていない。未だ運行しているのであるから、一度全線を乗りこなしてみようとは思っているのだが、都電そのものに対する興味が薄れたせいか、なかなか「よしっ」という気にならない。
 一度下駄を買う必要があって、亡くなった奇優(そう言われていた)の高木均さんに、「それなら、巣鴨の地蔵尊の近くにあるよ」と言われ(男物の普通の下駄は見つかり難くなっているのだ)、JRの大塚駅から都電に乗っていくルートを考えついたものの、途中下車するのを忘れて巣鴨まで行ってしまい、都電に乗り損ねた、ということもある。
 都電のことを考えると、そのために当時いくつかあった車庫のことを思い出す。前述した「ワセダのウラモン」の所にあった車庫もそのひとつであるが、同じようなものが、青山にもあったし、新宿のゴールデン街のところにもあったし、とっさには思い出せないが、まだほかにいくつもあったような気がする。
 都電が消滅すると同時にその車庫もまた消えてしまったのであるが、それによって変わった都市の景観というものも、決して小さくはない。街全体が、何となくせせこましく、息苦しくなったような気がするが、どうであろうか。少なくとも早朝、始発電車がゴトンゴトンと、それぞれの車庫から出てくる図というものは、港から船が出てゆくような趣きがあっていいものだった。馬鹿にするわけではないが、バスの車庫と、そこに出入りするバスとは大いに違う。バスには、電車と違って動きはじめることの厳粛さがない。従って、車庫に並んでいても、重々しく感じられないのである。
 現在、東京以外の地方都市で、地球温暖化防止のため排気ガスを出さないことが喜ばれているのか、路面電車が見直されつつあるそうである。一度は廃止したそれを改めて復活したところもあるらしい。結構なことと言えよう。
 ただし、経済的には苦戦を強いられているようである。前述した理由で路面電車を復活させた或る地方都市の住民は、それに乗らない理由について、「そりゃあ地球のためには乗りたいよ。乗りたいけども、少くともそれには十五分に一本走ってきてくれないとね。三十分に一本とか、一時間に一本だと、どうしても他のものに乗ってしまう」。
 これではしょうがない。路面電車は採算を期待して走らせてはいけないのであろう。あれは、街の威厳のために、赤字を覚悟で走らせなければならないものなのだ。
 ところで、当時都電に乗って出掛けた場所というと、真先に思い浮かぶのは、何故か人形町の「末広」である。今はもうなくなってしまったが、当時最も格式の高い寄席だったと言っていい。何しろ下足番の親父がいて、下足を預ってくれ、希望者には座布団を貸してくれていた。
 何処から乗ったのかは覚えていない。何という線だったのかも知らない。停留所の名も何だったかわからない。しかし、乗ったのは都電だったのであり、停留所を降りて、ほんの二、三分歩くと、そこに「末広」があったのである。先代の文楽師や志ん生師を私はそこで体験した。落語の全盛時代だったと言えよう。
 そのころ「ホール落語」という言い方があった。「寄席落語」に対して、東横ホールや飯野ホールなど、大ホールでやる落語のことであり、どちらかと言えば大勢の客を相手にするから、滋味に欠け、大向こうむけのものとして、ややおとしめた言い方だったのである。
 特に人形町の「末広」に集まる客などは、「ホール落語みたいなしゃべりかたをしやがって」と、それらしくない席をつとめた演者をいさめることをし、末席でうかがっていた我々に教えてくれていたのである。
 そして今日、改めて考えてみると、「ホール落語」をやるホールは、おおむね当時の国電、現在のJRの駅近くにあり、「寄席落語」をやる寄席の方は、都電で行くところが多かったから、都電がなくなることにより、寄席が寂びれ、同時に「寄席落語」が持っていた良さも、失われていったような気がするのである。つまり、ひとつの文化が廃れたのではないだろうか。
 またこの点については、都電の消滅とどう結びつくのかよくわからないが、かつてあった名曲喫茶や純喫茶の少なくなったのも、そのせいではないかと考える。最近はドトールやスターバックスなど、簡易喫茶ばかりがそこここに目立つが、そのニュアンスが私に言わせると、かつての「ホール落語」とよく似ているのである。
 私たち世代は、「寄席落語」と「純喫茶文化」によって育てられた、と言っていい。それを都電がつないでいたのである。それらがなくなって、直接にはさほどの痛痒を感じないものの、かつて何がしかのものをそこで体験した場所を、ただ素通りするような味気なさを覚える。
 地方都市にならって、東京にも都電を復活させる運動をしてみたらどうであろうか。全都にとは言わないまでも、出来る所だけにでも走らせれば、ちょっとした「街おこし」にもなると思うのだが……。
(劇作家)







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