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評者◆矢部史郎+『来たるべき蜂起』翻訳委員会
われわれはあらゆる場所で無数のストライキをつくりだすだろう――短命な者たちは、なにを想い考えるだろうか?
No.3059 ・ 2012年04月21日




 フクシマから一年がたった。チェルノブイリの知見を参照すれば、これから東北・関東の住民の寿命は短くなるはずである。放射性セシウムによる心筋と脳の破壊が広範にあらわれ、成人にいたる前の突然死も珍しいものではなくなる。東日本の若年層は、親たちの世代よりもずっと短い人生を送ることになるだろう。この状況のなかで、思想や文化はどのように変化していくのだろうか? 短命な者たちは、なにを想い考えるだろうか?
 まず生にたいする極端な軽視があらわれ、つぎに生への執着が強まるだろう。短命な者たちは、長く生きたいと願う。信念や信仰、科学的探究は、生そのものを軸に展開される。産むことや育てることや老いることがまれなものとなり、それらが強烈に自覚される。表現の作風も変わるだろう。時間をむだにできない。遠回しな表現や遠慮がちな表現、あるいは曖昧で要点を欠いた言動はしりぞけられる。
 教育も変わるはずである。短命な者たちの知性は、産業の穏健な部品であることをやめて「海賊的」な闘争機械を構成するだろう。しかも、こうした事態の性格をいっそう強めるのは、短命であることが一部の者の運命であるからである。天寿をまっとうする者がいる一方で、成人をむかえてまもなく体を壊していく者がいる。両者が同じ土俵で議論することはもうできない。同胞意識など粉々に砕かれてしまうはずである。
 この状況は悲劇そのものである。ジョージ・スタイナーの定義を想い起こそう(『悲劇の死』喜志哲雄/蜂谷昭雄訳、ちくま学芸文庫)。たとえば聖書の『ヨブ記』は悲劇とはいえない。どれほど理不尽であっても、さいごには神の正義がすべてをつまびらかにする。他方、神々は悲劇に介入しない。不確かなしるしを解釈して真実にせまるのは、オイディプス自身にゆだねられている。われわれの状況についても同じことがいえるだろう。放射性物質はあまりに微細であり、その飛散も広範かつ複雑である。因果の連鎖をたどることができない。にもかかわらず、われわれは出来事に意味をあたえなければならない。
 じっさい放射線を計測する実践は、神々の審級のおよばない「魔術の唯物論」と呼ぶべき様相を呈している(矢部史郎『3・12の思想』以文社)。ひとびとは生活圏のすみずみを測定し、その数字について語り合う。床や作業台を磨き上げた計測所で、何時間もかけて食品の放射線量を読みとる。そうして出てきた数字がどのような結果をもたらすかは、既存の放射線科学もたしかなことはいえない。かつての魔女たちの医療行為と同様に、徴候に意味をみいだすのはわれわれ自身にほかならない。そうやって柏市の計測グループは、自分たちの判断で避難することをきめたのだろう。「魔術の唯物論」をになうのは、徴候の解釈において行動する悲劇的な主体である。
 同様の悲劇的な主体は、いましろたかしの『原発幻魔大戦』(エンターブレイン)や安冨歩の『原発危機と「東大話法」』(明石書店)にもみてとることができる。『原発幻魔大戦』が描くのは、「東京被曝」の現実のなかで交錯する情報を解釈しつつ、平凡な日常を生きる主人公のすがたである。彼は原発推進に固執する財界には「経済なんてどーなったっていいんだよ」と夜中にアパートで独り言ちる。だが一方で、会社にかよいつづけることをやめない。そして、この危機と日常が乖離しながら折り重なる「ミステリーゾーン」から抜けだすために、反原発、さらには反TPPのデモへとおもむく。
 『原発危機と「東大話法」』の標的は「御用学者」たちである。経済学の根幹をなす「最適化原理」は、計算爆発をおこしてなりたたない。選択は主観的であるほかないが、経済学はその事実を覆い隠し、科学としての客観性を捏造する。このような観点から経済学の批判に取り組んできた安冨によれば、原発事故後の「御用学者」たちの「東大話法」にも同じ機制がはたらいているという。主観的な「意見」を社会的な「立場」に還元して客観性をよそおう。御用学者たちにとっては、社会は維持すべき「立場」の集積にほかならない。だが、安冨にとっての「真理の探究」とは、オイディプスがそうだったように、みずからの「立場」をもゆるがすものである。
 短命であること。そしておそらく難民となること。われわれは「感覚の新しい歴史」(スベトラーナ・アレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り』松本妙子訳、岩波現代文庫)を生きている。くりかえすが、それは悲劇的な主体へと生成することである。愚か者たちは、社会的な「絆」について語りつづけるだろう。あるいは福島県立医科大学副学長の山下俊一のように、暗黙裡に宗教的な言動をとるだろう(陣野俊史『世界史の中のフクシマ』河出ブックス)。だが、短命である者たちには贖うべき何の罪もないし、生き延びる者たちのやましい良心にもとづいて、社会的なモラルが上昇することもありえない。
 われわれが生きることになるのは、事物のしるしが行動の同胞となるような世界である。それはディオニュソスがアリアドネにみちびかれる悲劇の世界であり、衰退の混沌のなかで、高次の審級を迂回することなく、われわれの生は肯定されるはずである。すでにメーデーにむけて「グローバル・ゼネスト」が呼びかけられている(「STRIKE EVERYWHERE」)。生き延ばす自由もあれば、くたばる自由もある。あらゆる場所に放射性物質が飛散したのと同じように、われわれはあらゆる場所で無数のストライキをつくりだすだろう。この社会には無数の空孔がうがたれるだろう。革命? そう、出来事の意味の物質性を実現するのは、短命な難民であるわれわれの悲劇的な主体にほかならないのだから。
(海賊研究+『来たるべき蜂起』翻訳委員会)







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