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評者◆伊達政保
その映画は再評価されねばならない――ドキュメンタリー映画作家・布川徹郎の早すぎる死
No.3056 ・ 2012年03月31日




 ドキュメンタリー映画作家・布川徹郎が2月9日に亡くなった。平岡さん、朝倉さんに続き、オイラ一緒に活動してきた人たちが相次いで亡くなってしまうとは。みんな70才になる前だよ。早すぎるじゃないか。
 布川氏(敬称ではない。なぜか呼ぶ時にはそう呼んでいた。向こうはオイラを「おにいさん」と呼ぶ)と出会ったのは昭和40年代後半、知り合ったのは47年の楊明雄・軍事郵便貯金支払請求闘争の時からだった。NDU(日本ドキュメンタリスト・ユニオン)として『鬼っ子――闘う青年労働者の記録』(44年)、『沖縄エロス外伝――モトシンカカランヌー』(46年)、『倭奴へ――在韓被爆者の記録』(46年)のドキュメンタリー映画と『映画批評』などでの健筆で知られていた。そして日中国交回復時点での台湾を記録した『アジアはひとつ』(48年)を撮り上げて、インドネシア在住元台湾人軍属・楊明雄闘争に合流してきたのだ。プロレタリアートとは流動する基底部のことであり、反帝亡国・国境突破としてたち現れるというNDUの思想性は、それらの映画の中から知ることができる。その後連続して闘われたポナペ決死隊の遺族補償を求めるロペス闘争は、布川氏の目黒のマンションを拠点として展開され、ミクロネシア独立闘争に発展していく。そして独立のためのドキュメンタリー映画『太平洋戦争草稿』(49年)が現地で撮影され、製作された。
 帰国後、楊明雄闘争、ロペス闘争の仲間で消息不明となっていた浴田さんが、東アジア反日武装戦線として逮捕されたりバタバタしたが、その頃からオイラしょっちゅう布川氏とつるんで行動するようになっていた。後に若松(孝二)さんから、お前布川の腰巾着かと叱られたこともあった。1976年には布川氏の企画により平岡さん、目黒のジャズ喫茶で連続DJを行う。同年、建国二百年のアメリカ合衆国を撃つ『bastard on the border――幻の混民族共和国』。アングラ劇団曲馬舘の日本縦断ドキュメンタリー『風ッ喰い時さかしま』(79年)。そしてパレスチナ連帯運動に加わった後、連続TV番組『中東の世界』(80年)を撮る。この時オイラも一緒にレバノン、82年シリアへ。これらの取材を基に『パレスチナ76‐83――パレスチナ革命からわれわれが学んだもの』(83年)が製作された。
 その後、オイラ何本かTVの音楽ドキュメンタリーに助言を求められ、シリーズ『東京ジャズ・シーン』(98年)ではコーディネーターを務めることとなる。布川氏は大阪に行ってからも、何かあると意見を求めてきた。これまで周りに随分迷惑を掛けていたようだが、その映画は再評価されねばならないのだ。合掌。
(評論家)







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