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評者◆添田馨
「遅れ」の感覚――北川透の「詩的断層十二、プラス一」(『詩論へ 4』)をめぐって
No.3054 ・ 2012年03月17日




 首都大学東京の現代詩センターが発行している『詩論へ 4』に、北川透が六〇年代詩論「詩的断層十二、プラス一――〈六〇年代詩〉経験の解体・私論」を載せている。自らもその同時代をくぐり抜けた世代としての目線から、当時の自分の立ち位置を慎重に再確認しながら、「凶区」や「バッテン」「ドラムカン」などに集った詩人たちを論じることを通して、自らの六〇年代詩体験の解体と、現在のクリエイティブな主題への再定位を企図した本格的なものだ。
 個々の論点は極めて刺激的であり、これだけで特集の二つ三つも組めそうなほど充溢した内容になっているが、私がそれ以上に興味を惹かれたのは、北川氏がこの批評的な作業全体のモチーフに、六〇年代詩に対する自らの「遅れ」の感覚を一貫させている点だった。私などからしたら、遥かな先行者であると同時に今日までつねに時代の先端にあって詩と批評を切り分けてきた北川氏が、自らのこうした「遅れ」に言及すること自体、とても意外な感じがしたのである。
 一体この「遅れ」とは何なのか。とにかくこの詩論における核心が、「遅れ」という著者本人の存在のあり方に根差している、少なくとも北川氏はそう言おうとしていると、私には読めたのだった。と同時に、自分の無意識がどこか深いところで身震いするように共振する気配をも感じたのだった。なぜならこの「遅れ」の感覚とは、私自身が自覚的に詩の批評と関わるようになった一等最初の契機を充填していた感覚に、実はぴったり重なり合っていると、何故かそう強く思い至ったからである。
 私は自分を、ずっと今まで“遅れてきた世代”と自認してきた。戦後詩に遅れ、六〇年代詩に遅れ、七〇年代詩的ラジカリズムに遅れ、要するにこの国の戦後の詩の運動すべてに遅れてきた人間だとずっと思い込んできた。それは世代的な要因もあるが、むしろ自分の存在的な要因に深く関わっているのだと、初めて自覚したのである。そのことが良いとか悪いとかいう問題ではない。多分、この「遅れ」は本源的な遅延なのだ。ただ、それを刻印された者とそうでない者とがいる。それが一体何を意味するのか、詩と批評の文脈において未知の課題をいま私たちは投げかけられている。
(詩人・批評家)







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