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評者◆秋竜山
ケータイを持ったサル、の巻
No.3053 ・ 2012年03月10日




 正高信男『考えないヒト――ケータイ依存で退化した日本人』(中公新書、本体七〇〇円)を読む。考えるヒト、といえば、ロダンの考える人だろう。あまりにも有名だ。裸で考えこんでいる。いかにも人間的である。そこで思ったのは、その考える人と並べて、考えるサル、というのを置いたらどーか。考える人より考えるサルのほうが、インパクトが強いだろう。それとも本書のタイトルのように、考えないヒトを置き、その脇に、考えないサルを置いたらどーか。今度は、サルよりも人間のほうが強烈な印象をあたえるだろう。本書、第五章 サル化する日本人、の中で、〈人間はいつ人間になったか〉という項目がある。と、いうことは、自分はいつから人間になったか、ということか。人間は霊長類の一員であり、その数およそ二〇〇種に及ぶと本書にある。では人間は、いつ人間になったのだろうか? ということに及ぶ。
 〈この問いへの解答は、人間の他の霊長類を圧倒する特徴を何と定義するかによって、異なってくる。結局のところ、該当する形質がいつ出現したかが解答の代わりとなるからにほかならない。しかもやっかいなことに、人間をサルから分けるのは何によってなのかという問いかけは、それ自体、問題設定が科学のそれではすでになくなってしまっている。もはや、思想・哲学の領域の問いかけとなっている。〉(本書より)
 人間とサルとの違いは、一目であきらかだ。が、それだけでは、本当の答えとはなっていないのだろうか。
 〈ホモ・サピエンス――理性を持った動物〉〈ホモ・ファーベル――工作する動物〉〈ホモ・ルーデンス――遊ぶ動物〉〈ホモ・ロクエンス――ことばを持った動物〉(本書より)
 いずれにせよ、人間とサルと一緒にされてはこまる。と、思いつつも、動物園で、サルたちを見物していると、一日中でも、あきない。あきないどころか、なんともなつかしいような感情がうまれてくる。泣きたいような感情でもある。サルだけが、どうして他の動物と違ったものを感じさせてくれるのだろうか。昔はサル、今は人間である。本書に〈サル化する日本人〉というのがある。サァ!! どーしましょう。日本人がサルになってしまうというのか、いずれのうちに。それは、どうやら「ケータイを持ったサル」ということになるらしい。
 〈IT化によって、その関係の枠が途方もなく拡大し、かつ輪郭が曖昧になる。結果として、「私」というもの自体が、とらえどころのないものに変質してしまった。(略)この本で私は、IT化に伴って日本人が確実に退化しつつあるということを書こうとしたつもりである。〉(本書より)
 やっぱり、あのケータイは、あまりにも便利すぎる。なにが便利かというと、歩きながら電話ができるということだ。歩きながら食事するのと同じことである。いまや、街頭の電話ボックスがなくなってしまった。電話するのに長い列をつくり、イライラしながら待ったなどというのが、なつかしくもなってくる。そーいえば私は、20歳前後の頃、田舎の小さな郵便局で、女性の電話交換手にまじって電話交換手をやったことがあった。「早くつなげ」と客に叱られたものだ。その頃の日本はよかったなァ。今になって考えてみると。







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