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評者◆伊達政保
人々の心に届くウタ、心から湧き上がるウタ――「ソウル・フラワー・みちのく旅団withリクオ」東北出前ライヴ・ツアー
No.3051 ・ 2012年02月25日
ロック・バンド、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬の唄とギター、高木克のギター、そしてリクオのピアノと唄による地方巡業用アコースティック別動隊(遊撃隊)が、ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザンだ。なるほどアコースティック・ギターとピアノという編成ならロック・バンドほどの器材もいらず、フットワークも軽くいろいろな場所でライヴができる。昨年の5月には「ソウル・フラワー・みちのく旅団」被災地出前ライヴで各地を巡っている。
今回は全国ツアーとして福岡、広島、松山、兵庫、東京、宮城県石巻でライヴを行い、そこから「ソウル・フラワー・みちのく旅団withリクオ」東北出前ライヴ・ツアーとなって被災地を巡るという。オイラ東京でのライヴを聴いた後で、1月24日、スタッフの車に同乗して「みちのく旅団」に同行することにした。 震災後、仙台や松島周辺には何度か訪れたが、石巻は中学以来ほぼ50年ぶり。漁港、港町という雰囲気から、県下第二の都市に変貌していたことに驚いたが、震災の被害が10ヵ月以上経った現在でも復興には程遠く、街中のビルの一部はいまだ一階部分が津波で使えないままになっていた。会場となったライヴ・ハウスのラ・ストラーダも、元あったビルが解体することになって移転したという。 翌日は登米市にある南三陸町の人たちの仮設住宅。コミュニティや人間関係の喪失による孤立化が、やはり問題となってきている。夕方には女川町の蒲鉾本舗高政本店での演奏。高政の三代目・高橋氏が津波で流失したターンテーブルを、支援に行っていた中川君が偶然見つけネットにアップしたところ、ファンであった彼から連絡があり、そこで関係が始まったという。打ち上げで高橋氏は、恨みもしなければあきらめもしないと、自前での復興を熱っぽく語っていた。 次の日は東松島市の仮設住宅、そして夕方、仙台市長町での障害者自立支援センターの人達。そこで今回の出前ライヴは終了。このツアーはこれまでの支援や音楽のネットワーク(人脈的にはほとんどダブっている)によって出来上がっていることがよくわかる。 演奏はソウル・フラワーの曲、そしてリクオの曲、また被災地ライヴでの重要なレパートリーとなった歌謡曲「おいらの船は300トン」「港町ブルース」、石原裕次郎「夜霧よ今夜もありがとう」、美空ひばり「愛燦燦」など、ロック・ナンバーから「アンパンマン・マーチ」という構成。場所や聴衆の反応に合わせた臨機応変の対応は、彼らが阪神大震災支援ライヴ以降、人々の心に届くウタ、心から湧き上がるウタというものを知ったからだと思う。 (評論家) |
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