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評者◆秋竜山
酒がおいしくなる名言集、の巻
No.3046 ・ 2012年01月21日
酒を肴に名言力、とは、名言力を肴にするには一人より二人、二人より三人。四人、五人となると、まとまりがつかなくなって、ややこしくなるから、三人くらいがいいかもしれない。一人が名言力、つまり名言集なるものを読む。名言だから偉人の言葉だ。読みあげた名言を、「うん、それはいい」とか、「わからん」とか、「教えられるなァ」とか、しみじみと酒をくみかわしながら、いいあうのである。酒が過ぎて酔っぱらっては、この試みは何の役にもたたない。口ゲンカになったりする。酒は理性を失うキケン性があるから。素直でなくなる。みんな酒のせい。酒ぐせが悪くては明言も、だいなしになってしまうというものだ。名言をお遊びにする。酒で。それもよいではないか。気のあった酒友達と、そんなことをやってみたりする。もちろん、二、三の名言で終わってしまうけど。大山くまお『名言力――人生を変えるためのすごい言葉』(ソフトバンク新書、本体七六〇円)を、書店で求めたのは、その酒の肴のためではなく、書店で手にして儀式的のパラパラをやってみると、思わず笑ってしまったページ、つまり、名言に出くわしたからであった。〈今東光 自分がわからないものを一生懸命に人に説いても、わかるはずがない。〉アハハハ……と、声には出さないが、「アハハハ……そりゃそーだ!!」と、笑ってしまったのである。何がおかしいかって。僧侶で、作家でもあった今東光という偉大な人物。ゴーカイな笑い声をする人であった。だから、この名言の後、あのゴーカイな笑い声を発したであろう。「俺自身、わからないものを一生懸命に人に説いても、わかるはずがない。アッハハハハ……」と、いうことではないだろうか。名言とはなんぞや? と、いうことになりかねない、今東光の名言である。本書に、夏目漱石の名言力というのがあった。〈夏目漱石 運命は神の考えることだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ。〉これは笑いというより、「ウン、その通りかもしれないなァ」と、酒を手に、うなずく。
〈運、あるいは運命について、これ以上の言葉はないでしょう。夏目漱石の小説「虞美人草」の一節です。運がいいだの悪いだの、考えていても仕方ありません。自分の手を動かさない限り、何も始まらないのです。〉(本書より) さっきの今東光の「自分がわからないものを」とあるのは、まさにその通りであって、わかるはずがないのである。それは、夏目漱石のいう名言、「運命は神の考えることだ」と、かさなる。人間なんて、なんにもわからないのである。わからないのに、わかった風に言ったりする。それに対して、わかった風に思えるだけのことか。神でもないのに、神のように言う。漱石は「人間は人間らしく働けばそれで結構だ」と名言する。そして、東光は「一生懸命に人に説いても、わかるはずがない」と名言するのである。しかしだ。それを言ってしまったら、おしまいだョ!! と、人間は、人間らしく思うのが健康的かもしれない。 〈池波正太郎 人間は、死ぬところに向かって、生まれた日から進んでいる。それしかわかっていない。あとのことは全部わからない。〉(本書より) なぜか、おいしい酒である。 |
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