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評者◆小野沢稔彦
「知」は「力」に取り込まれたいものなのだ――ヴィセンテ・アモリン監督『善き人』
No.3046 ・ 2012年01月21日




 自分は何ものかである、と思い込みたい者がその何ものか(と信じている)を、他者(特に権力者)から評価されたとすると、それ故に、彼はその権力の呼びかけに、たとえその権力に批判的立場にいるとしても、結局応じたくなるものなのだろう。このことは、世界のどこでも起きること、あるいはいつの世にもあることであって、自分が何ものかである、あるいはありたいと思い込んでいる者にとって、免れ難い誘惑なのである。
 ナチスの世を生き、担った『善き人』(監督・ヴィセンテ・アモリン)を描くこの映画は、彼が平凡な家庭人、あるいは親友のあり様に心痛める普通の人として――そんなことは東条英機にだって言える――の、善き人ではなく、彼のなそうとした「出来事=イベント」故に、ナチ体制を担って生きた一人の知識人の生き様を描く、そのような善き人の物語なのである。彼は自己のイベントをなす善き人である。
 したがって『善き人』は、今日の――3・11以後にはっきりと露出した――、私たちの存在性を規定する、制度の裡で何ものかであろうとすることを、問おうとする映画でもあるだろう。権力に承認をえたいというぬきさしならぬ知識人たちの傾斜こそ、実は「知」というあり様のアポリアなのである。実に「知」は「力」に取り込まれることを希んでいるのである。やがて「知」は「力」を信仰し、力の一翼を担うようになる。
 ナチスが権力を獲得した後も、徹底的にナチスという組織と、ナチズムに批判的視点を持ち続け、結局そこに加わった後も、主観的には、ナチを批判し続ける、ある知識人、つまり「善き人」は、その善き人故に――そして優れた才能故に――ナチスの中枢に取り込まれ、その官僚として、ナチの思想と運動を生き、支え続ける。この一人の「良心的」人物の行動の軌跡――彼は、あらゆる情況において悩み、しかし結局、流れのままに官僚の役割を果たす――を、極めて冷徹に描くことによって、この「知識人」のあり様の問題性が、あの時代に終わったのではなく、今日の問題でもあることを『善き人』は告知する。
 主観的には、ナチ体制を笑い(無二の親友であるユダヤ人と共に)、このバカ共とは共有する場も、対話も、まして思想と行動を共有するものではない、と信じている主人公は、だが結局のところナチスの体制を生き、支え、その過程でナチスへの批判を共有した親友であるユダヤ人からの援護の依頼――パリへの片道切符を手に入れること――に、ここでも主観的には努力するけれど、肝心な時点で越境することなく(知識人にふさわしく優柔不断に、その機会を先送りし続ける)、無二の親友を裏切るのである。
 では、この「善き人」はなぜ、ナチ体制に取り込まれたのか。彼の書いた小説――研究者であると同時に作家でもありたいと希う――が、ヒトラーに気に入られ(認められ)、その虚構を具体的な現実手法(多分、ユダヤ人抹殺の)とすべくレポートを提出してくれとの要請に、作家としてのキャリアを発揮したいという、知識人に特有な心性を刺激され、積極的に応じることによって、栄光の地位(主観的には否定するも)を手に入れる。結局、「知」は「力」に取り込まれたいものなのだ――このことは実は、善き人と一緒に、ナチを嘲笑し続けた「善きユダヤ人」も含めて言えるだろう。
 この国においても主観的には「反天皇制」を主張していたように見えた人物が、見事に〈勲章〉を嬉々として受ける例をこれまで何度も見てきた。そして今日、フクシマ以後の情況の中で、それ以前の自身の行動を問うこともなく、突然「反原発」を声高に叫ぶ多くの知識人を見るにつけ――もっとひどいのは、居直り、今もなお自己の正しさを叫んでいる――、この「善き人」の行動こそ、実はある普遍的な知識人の行動様式であることを思い知らせてくれるのである。一方、ヨーロッパにおいては本映画にあるように、今もなおナチズムの内実を問うことを止めてはいない――勿論、それを生み出した西欧近代の精神そのものを問うことは圧倒的に不充分だとしても――、この彼我の差異に愕然とせざるをえないのだ。この国では、戦争・戦後責任を問うことは、とうに忘れられ、昨年に起こったことの責任さえ免罪されようとしている。
 さて、次々と起こる体制との対決局面を先送りし続ける「善き人」はついに、「ユダヤ人強制収容所=存在抹殺施設」において、あの内的な「自由」の日々に共にナチズムを嘲笑した無二の親友と向き合わざるをえなくなる。しかし「善き人」は、結局目をそらし、親友もまた「言葉」さえ発することはない。言葉など発したからといって彼は生き長らえられるわけでもないし、この「言葉」の断絶に象徴される――眼差しさえも交差することはない――関係性こそが、「善き人」と「善きユダヤ人」との関係の帰結なのだから。そしてこの虚無の関係世界こそ、実は今日の世界そのものの表象でもあるだろう。この決定的対決から目をそらす善き人の、ナチズムを担い、支える官僚としての行動性と同時に、その内部にそれを批判的に封印した心性を抱えた生き方を問うことは、紛れもなく今日の私たちにも鋭く問われている課題ではなかろうか。正月早々にこそ、映画館に足を運んでいい映画である。
(プロデューサー)
※『善き人』は、有楽町スバル座ほか全国公開中。







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