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評者◆高橋宏幸
身体が他者となる瞬間――チェルフィッチュ公演『家電のように解り合えない』(@東池袋あうるすぽっと)
No.3045 ・ 2012年01月14日




 「他者」なるものをモチーフにした舞台の結論について語るとき、それはひどく凡庸な言葉で終わってしまう。いわく、寛容であれ、排除するのではなく許容せよ、差異を尊重すること、といったものに尽きるからだ。ただし、その凡庸さを踏まえながら、さらに作品としても優れた成果を出すものは本当に少ない。いわゆるコラボレーション企画の作品は、概してアーティストの名前頼みに終わる。国際共同制作の作品などもそうだ。異なる身体性をもつものが、一つの舞台上にまとめられたとき、差異を強調すると単にバラバラな統一感のない舞台となり、作品としてまとめることを優先すると、一つの方法論に組み入れただけで、共同で作品を作ることの意味を問われる。これまでそれらを試みた多くの作品が無残にも意義だけを残して終わった。
 だが、チェルフィッチュを主宰する劇作/演出家の岡田利規が、ダンサーの森山開次とともに東池袋にある劇場「あうるすぽっと」プロデュースで作った『家電のように解り合えない』という作品は、愚直なまでに解り合えない他者という問題を正面に据えて、意義を越えた成果を出した。
 この作品のテクスト(『悲劇喜劇』11月号掲載)自体は、非常にシンプルで短いものだ。登場人物は二人だが、一人の詩人の女性は二人の女優のやりとりによって成り立っている。もう一人のダンサーの男は森山開次が演じる。実質的に三人で舞台は構成される。
 詩人は、出版した詩集「風姿家電」から、さまざまな家電を題材にした詩を詠む。すると、普段親しさの中で、わかったように語ることができる家電を、実は何も知らないことが示される。そして、その身近な感覚ゆえの不確かさは、詩人とダンサーの男の身体性というレベルの話に移行する。詩人を演じる二人の女優は、チェルフィッチュの他の舞台に出演していることもあって、同質的な身振りの動きができる。それに対して、ダンサーの森山開次がもつ踊れる身体が、解り合えない他者として提示される。むろん、ここには踊るとはなにか、という問題も潜んでいる。
 チェルフィッチュの俳優たちが、日常的な身振りに焦点をあてて拡大したかのような、冗長で散漫な動きによって、身体だけではなく、その空間や時間も弛緩させるように機能することに対して、森山開次の身体は技術をもった踊ることができる身体として、観客が緊張を伴い、固唾をのんで観ることを要請する。
 もちろん、今作は岡田利規が作/演出ということもあって、劇場内の空間と時間軸はやはり彼の特徴ともいえる弛緩した状態になっている。森山開次の身体は、そこに他者としておかれる。空間の基調がその身体も包み込む以上、作品としてある一定のまとまりは得られる。ただ、やはり森山開次という身体性は、到来した他者として、同じ空間にいながらも差異がある。
 実際、作品のラストシーン近くでは、たとえ異質な身体性だから解り合えないにしろ、それを嘆けること自体、すでに誰かと出会っているからこそできることだ、という意味の台詞がある。そして、そこからはそれぞれが努力するしかない、ということで舞台は終わる。
 確かに、言葉上では、他者を同化せずに差異のままにおいて、解り合うように努力せよということに尽きてはいる。しかし、ここで秀逸なのは岡田の作品を作る方法論そのものが、他者の到来に対して秀でていること、もしくはそれに対応させるような局面を今作で切り開いていったことだ。そもそも他者と出会う際の倫理的な振る舞いは、同時に暴力的なものも伴う。それを回避するかのように、ゆっくりと短いテクストの物語を、時に間延びをするようにどこかに進ませるわけでもなく、劇的になにかが起こるわけでもなく、ただ二人が話をして身振りを交わすことに長く時間をかけて、弛緩した空間に異質な身体をゆるやかに滑り込ませていく。それは観客にとっては、ときに退屈かもしれず、ときに退屈さの快楽とでもいうべきものがある。
 しかし、そのような倫理的な空間があるからこそ、他者と話はできるのではないか。他者とは絶対的なものではある。しかし、絶対的であるからこそ、ときに内面化したり、超越的に扱われる。ただ、現実的には解り合える存在として相対的に扱うからこそ、報われなくとも努力という行為は行われる。それは言葉にしてしまうと凡庸だが、相手を絶対的でありながら、半ば相対的にも扱うから、解り合えない差異に希望は見出される。それが今作の根底にはある。凡庸であることの難しさを引き受けているからこそ、逆説的に非常に優れた舞台となっていた。
(舞台批評)







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