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評者◆阿木津英
〈近代の脱落〉へと向かう短歌の現在――立花開「一人、教室」の角川短歌賞受賞を手がかりに
No.3045 ・ 2012年01月14日




 第57回角川短歌賞受賞作(『短歌』11月号掲載)は立花開「一人、教室」50首、まだ18歳の高校生だという。

やわらかく監禁されて降る雨に窓辺にもたれた一人、教室

白百合のおしべの先っぽちょんぎったケータイメモリーT・Yを消す

 今風のレトリックに覆われているが、高校生らしい悩みや友人関係の葛藤などが透けてみえるところが初々しい。井坂洋子の初期の詩を思い出す。また、この人は、今風にかぎらぬ短歌読者のようで、その読書範囲の影が透けて見えるところも好もしい。
 このように若くして人を驚かせるような才能をもって出てきた何人かの顔がよぎり、この作者の行く末を思い、現在という時代を思って、ふと嘆じられた。
 かつてない困難な時代である。失われた20年などと経済界では言うらしいが、まさにその20年前ほどから短歌界に感じ続けてきたわたしの違和は増大し、ほとんど極に達している。
 このたび『短歌』11月号をめくり返しつつ老若男女の歌を拾い読みしているうちに、その正体は〈近代の脱落〉だと思い当った。近代短歌の築いてきたものが崩落しつつあるとは感じていたが、いまこの地点から見通せば、これは〈近代の脱落〉へと向かう道だったのだ。
 千数百年の和歌の歴史のなかで、明治期に成立した短歌は、その本質においてむしろ異種であることは、よく指摘されるところである。近代化するためにはあえて異種でなければならなかったのだろうが、その近代短歌の達成したものの一つが、自然を対象とする客観把握の方法である。
 これが、見事に今の短歌には脱落してしまった。もうだいぶ以前から、短歌はレトリックを駆使しての主観的なおしゃべりになってしまっている。
 わたしたちが持った〈近代〉とは、かくも簡単に脱落してしまうものだったのだ。唖然とするような思いだが、しかし、あの近代短歌の客観把握の方法への関心は、個人としての覚醒や他者の発見と連動して動いていたものではなかったのだろうか。
 〈近代の脱落〉は、すなわち二重の喪失を意味することになるだろう。
(歌人)







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