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評者◆秋竜山
笑えてくる「考えすぎ」、の巻
No.3044 ・ 2012年01月01日




 考えても、考えなくても、芸術というものに私は「これでいいのか!!」と、思う。あまりにザンコク物語であるからだ。一つの例として、あの上野の森の裸の男。寒かろうが、暑かろうが、裸で通している、下着をつけていない。これで、おわかりだろうが、「ロダンの考える人」である。あの芸術作品を前にして立つと、冬の寒い日などは、外套でもかけてあげたいと思うのが人情だろう。しかし、それはゆるされないだろう。彼は、芸術作品としての運命にあるからだ。裸という。私は、あの作品を見る限りにおいて、かならずしも裸でなくてもよかったのではないかと、考えてしまうのである。もし、私がロダンだったら、あのような裸姿はさせなかっただろう。そして、私は考える。誰もが観ていない人の気配のない時、そっと、寒さをしのげるようなものをかけてやるとか、それが人間の情というものではなかろうか。雪や雨の日には笠を頭の上にのっけてあげるとか。そして、私は考える。この考える人は、いったい何を考えているのだろうか。ずっと、考えるというポーズである。なにも考えていなかったりして。考えて考えて、考えあぐねて。考えすぎについて、考えたりしていたりして。本多時生『考えすぎない』(アルファポリス文庫、本体六〇〇円)を書店で手にした時、〈ロダンの考える人〉が頭に浮かんだということをいいたかったのである。あの作品が、有名の理由の一つとして、99パーセントが「考える」ということをテーマにしたことと、1パーセントがロダン作であるということだ。考えるということの連想の一番目に、「考える人」だろう。考えに考え、これでもか、これでもか、と考えるのが哲学であるだろう。哲学者こそ考える人であると思う。哲学者は考えるのが商売である。よく考えてみると「考えすぎ」ということは、笑えてくる言葉でもある。何ごとにおいても、「すぎる」ということは、よくないようではあるが、特に「考えすぎ」ということは可笑しい。十人十色の考えがあるだろう。なにを考えているのか、そのレベルにおいても、まちまちである。そして、考えすぎということに関しては同等であろう。
 〈「考えすぎない」とは、必要以上に考えないことです。小さいことはその場で一瞬考えるだけですませばいいのです。〉〈考えすぎると、悩ましい時間が長くなるだけでなく、一日を憂うつな気分で過ごすことになってしまいます。長く考え続けると疲れます。体調に悪影響が及んでしまうこともあります。〉(本書より)
 一つのことを考えないで、いや考えすぎないで、いろいろなことを考えるということかしら。人間である以上、生きている以上、考えないわけにはいかないだろう。
 〈「悩む」には、「考える」と「苦しむ」の意味があります。「悩まない」ためには、「考えない」か「考えても、苦しまない」ことができればいいのです。「苦にせずに、よく考える」ことができればいいのでしょう。〉(本書より)
 考えすぎるということは、時間をむだにするということらしい。そーかもしれない。時間をむだにするようなことしか考えないからだ。私は毎日、考えている。マンガのアイデアである。もうちょっと考えすぎたら、いいアイデアも浮かぶだろうになァ。







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