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評者◆内藤千珠子
出来事に横領される物語――複数の声と物語が交わる場所を用意する「ヒグマの静かな海」(津島佑子、『新潮』)
No.3042 ・ 2011年12月17日




 震災をめぐるモチーフが小説の言葉のなかにあふれかえっているのを読み続けてきたが、それらのテクストの連なりに、異和を感じずにはいられない。むろん、切実な思いが現れた作品も多い。しかしながら、小説の言葉が、あたかも情報を伝えるメディアと競いあうかのごとく次々と震災や原発事故にまつわる事態を取り扱おうとする現況は、出来事の構造をとらえ、見逃されがちな声を拾い、細部をつないでテクストを練り上げるための時間や思念が大胆に省略された結果到来したものだろう。言葉の群れが、小説になりきらないものとして物語の定型を織りなしているように見える。言い換えると、小説の時空で、何か別のもののために、出来事としての震災が奉仕させられていると思えてならないのだ。
 そうしたなかにあって、津島佑子「ヒグマの静かな海」(新潮)は密度の濃い、読み応えある一篇だった。地震が頻発する時期にあったおよそ百年前、ヒグマが海岸から沖に向かって泳ぎはじめる、という場面から開かれたテクストは、その光景を二〇一一年の地震へと結び合わせる。一人の女性の視界のなかで、「ヒグマさん」と呼ばれた、今は亡き男性の存在と、テレビ画面に映った避難所にいる男性の背中とが、百年前のヒグマの営為に重ねられていく。彼女が生きる二〇一一年の現実のなかに、海を渡ろうとしたヒグマの不運な死と、記憶のなかにある「ヒグマさん」の自死、そして彼によく似た背中を持つ、被災した見知らぬ男性がつなぎあわせられ、記憶や思念に仲立ちされて、小説の時間は複数の声と物語が交わる場所を用意する。無関係であったはずのものがかかわりあう、関係性を織る女性の視点が、交わりを生産する時空の延長に、次世代の「しあわせ」を祈り、未来につづく「新しい時間」を希望にみちた方向に編み上げる、というわけだ。
 しかしながら問題は、希望のイメージを支えているのが、彼女が「女の子」だったときに、ヒグマさんの「赤ちゃん」を見た、その瞬間こそが「疑いなく、しあわせを意味する時間のひとつぶ」であり「かがやき」の根拠だとされている点にある。女、赤ちゃん、生命という記号が連なってできる構図には、ヘテロジェンダー化された本質主義に帰着する紋切り型の作用を読み取らざるをえない。もちろんこの小説では、安易な家族主義が周到に避けられてはいるものの、定型に保証された希望は、規範にさからわない範囲内で効力を発しうるものにすぎない。そのイメージは、規範や定型を補強する記号へと読み換えられる可能性に対して無防備でしかありえないだろう。
 池澤夏樹「大聖堂」(群像)は、三人の少年の「ピザ計画」を中心とする冒険譚である。「島に渡ってピザを焼こうとした」計画を実行するはずの当日、ボートの鍵をなくし、計画が断念されるとともに、「その日の午後、あの災害が来た」。三人は生き残るが、計画の要でもあった少年の祖母が亡くなる。少年たちには、計画の失敗と災害が運命のように関係しているようにも思え、「運命の軸」に抵抗するかのように、計画をやり直すことにするのだった。少年たちの生命力が未来を紡ぐ可能性を表象した、強度のある短篇だといえようが、しかしこの短篇の物語構造において、「あの災害」は、別の出来事に置き換え可能でもある。少年たちの計画を阻害する要素が、類似した別の装置であったとしても、物語は成立してしまうだろう。そこにあるのはすなわち、取り替え不能な差異や細部を見えにくくする、物語の定型が小説の力を奪う構図にほかなるまい。
 東京で暮らす主人公が八戸に帰郷する、木村友祐「イサの氾濫」(すばる)では、親戚中が手を焼いた荒くれ者の叔父への不思議な共感を抱いた主人公の現在が、震災を体験としてどのように受容しうるのか、という問いと並行して語られていく。震災をめぐるモチーフは、主人公に葛藤を与えるエピソードを生成し、彼の自我や主体性をめぐる物語の背景を形づくっている。あるいは、山下澄人「水の音しかしない」(文學界)においては、「二時四十六分」という記号が、決定的瞬間の比喩として機能している。地震が起きた瞬間として読者が意識するであろう「二時四十六分」は、不条理な出来事が連続していくつなぎ目を作る。多くの小説に共通していえることだが、震災を代行可能な記号として表象したり、あるいは主軸となる物語の後ろにある風景として定着させるテクストは、出来事それ自体を小説がどのように言語化するか、という問いから遠く隔たっていくばかりだ。
 今月号に限らず、文芸誌に発表された小説にも、震災をテーマとして組まれた特集にも、同様の傾きが読まれ、作品の完成度、書き手や発話者や企画者の真摯な気分とは別の次元で、物語が出来事を横領する構図が軽やかに編まれつつあるように思う。この先に、小説の言葉がそうした言説の論理を更新することを確信したい。
(文芸批評)







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