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評者◆鴻農映二
えっ!? 百億円払って得た眼力?……画家、尹鉉植の場合
No.3040 ・ 2011年12月03日
「私はコレクターから出発しました。倉庫が満杯になるほど、買い集めました。絵画を見る眼がなかったので、相手の言い値で買いました。一つや二つでなく、一山いくらで……」
全羅南道の木浦市に自分の経営するギャラリーを持ち、芸術会館の一角に常設コーナーも持つ、尹鉉植画伯は、こう告白する。 「それらの殆どが、贋作だったり、二流、三流の作品でした。ようやく、見る眼が備わったとき、もう財力はなく、一流の作品は、私の資金では到底、手に入らないことを知りました……」 それ迄、日本円で約百億円投じたという。 ピカソがどうして偉大か、すでにそれがわかる水準にまで達していた。 「一旦、高まった眼力は、決して、そこから落ちません」 こう言い切るかれは、31歳から絵筆を執り、描きに描いた。アッという間に、師匠を追い抜いた。 「自分の中に、作家が存在したのを知りました」 (そうですか、よかったですねえっ……) 「きれいに写生したのを、よい絵だと皆が思っています。そんなのは、ただの屑です」 韓国の画家では、李仲 や、金換基が、好きだという。どちらも、単純な絵だ。 「自分の個性、その発見こそ、絵の命です。価値です」 そう強調する。師匠の作風から外れた百号の絵を発表したとき、師匠は、 「おまえは、韓国一の画家になれる」 と、語ったという。 私は、過去に開いた4回の個展のパンフ(画集)を見た。別々の4人の画家の個展か? と、思った。そう言いきれるほど、多様多彩な世界だった。コレクターから作家へ、かれは世界でも稀な、その道を歩み、成功した画家だ!。 (韓国文学) |
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