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評者◆秋竜山
大笑いの効用、の巻
No.3039 ・ 2011年11月26日
五木寛之さんを写真とかテレビでみるたびに、「五木寛之さんは、めぐまれていていいなァ……」と、思ってしまう。なんとも、うらやましい。と、いうのは、髪の毛がふさふさであるということだ。あれだけ多く頭に髪の毛がいき続けていることは、幸せのショーチョーであると思う。文句なしだろう。……なんて、思いながら、五木寛之『悲しみの効用』(祥伝社、本体一一四三円)を読む。〈笑うことだけが、人の体を活性化させるのだろうか〉というコーナーでは、〈笑うことがいかに心を明るくし、医学的にいい影響を体に及ぼすかということを客観的に物語っている〉と、いうことだ。その例として、いくつかあげられている。「なんばグランド花月」で三時間にわたって大笑いした前と後とでの笑いの効用とか、落語で大笑いした後の関節リウマチ患者さんの痛みとか炎症の進行の変化とか、いかに、笑うということが体によいかがよくわかる。それも大笑いがいいらしい。大笑いするということは、なかなかできるものではない。大笑いさせていただくことになるわけだ。よっぽどのことがない限り、大笑いなどできない。大笑いがあるからには、中笑い、小笑いとかあるだろうが、大笑いとは要するに、バカ笑いということになるだろう。それも大バカ笑いとなったら、しめたものである。何かの本で読んだことがあるが、笑いに関していえることは、体にいい作用というか効用は、おかしくて笑うばかりではなく、おかしくなくても笑ってみる。ウソ笑い。それでも体はいい反応をするということだ。ウソの大笑いもホントーの大笑いも大笑いでさえあればよいのだ。小さい笑い、中くらいの笑いも大げさに大笑いすることもよいということか。本書で面白いと思ったのは、〈ここが知りたかったわけです〉。
〈喜びや笑いがこのような効果を持つとなれば、その反対にある、泣く、悲しむ、嘆くという行為が、体や病気に悪い影響を及ぼすのではないかという疑問が生まれてくるのは当然のことです。事実、そのように証明する学者も少なくありません。ですが、実は私はこうした考えにはずっと疑問を感じ続けてきました(略)けれども、悲しみとか、泣く、嘆く、ため息をつくとかいう気持ちが身体にどう作用するかという検証はないのです。私は笑うという一方の感情だけが身体につながっているとされるところに、問題があるような気がして仕方がありません。やはり両方の感情を考えなければいけない。〉(本書より) 「アッ!! そーいう考えもあるんだ」と、「悲しみの効用」に対する発見でもある。本書では、泣くということを、 〈柳田國男が「涕泣史談」という意見を発表しました。‐日本人というものは泣くということを非常に大切にする民族であった。(略)最近、世間を見回すと、あまり泣くという景色が見られなくなったような気がする。(略)はたして日本人にとってよいことであろうか〉(本書より) 〈その理由として、「教育が普及したからだ」「口達者になったからだ」などを挙げています。〉(本書より) 大笑いや大泣きという大感情を毎日くりかえすこと。ウソの大笑いが効用あるということは、ウソの大泣きも同じだろうか。 |
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