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評者◆別役実
中野
No.3039 ・ 2011年11月26日




 方南町で地下鉄に乗ると、中野富士見町、中野新橋、中野坂上と進行する。中野坂上はその線の終点であるから、新宿行きか荻窪行きに乗り換えなければならないのだが、荻窪行きに乗り換えると、その最初の駅が新中野である。つまり中野だらけというわけだ。どうしても中野と親しみたいというものは、この路線を利用することである。
 ただし、「中野ってどこだい」と聞かれて、この界隈のことを口にするのは、恐らく少数派であろう。普通は、前述した新中野より少し北へ歩いた、JRの中野駅が「中野」とされているからである。しかも、そのメインは駅の北に広がっているとされているのだ。
 私が、その意味では「中野」のむしろハズレである、地下鉄・方南町つながりの「中野」を紹介したのは、ハズレでありながら中野だらけであったのが興味をひかれたのと、もうひとつ、一時期中野坂上に「演劇集団・円」の稽古場があって、よく通っており、その路線に詳しかったからに他ならない。
 「演劇集団・円」は、どこかから引越してきて、一時期そこに事務所と稽古場を構えていたのであり、小さな公演もそこでやっていた。間もなくそこを引き払って、どこかへ移動し、今は浅草にいるが、私はこの中野坂上の時代に、一番よく出入りしていたように思われる。
 故・中村伸郎さんも、故・岸田今日子さんもお元気で、岸田今日子さんにそそのかされて私が「子供のための芝居」を書きはじめたのも、この時代だった。「演劇集団・円」では、子供のための芝居にも、中村伸郎さんをはじめ、故・南美江さん、故・高木均さん、三谷昇さんなど、そうそうたる名優が出演することになっており、しかも中村伸郎さんなどは、それがすっかり気に入って、その当時既に七十歳を超えていたにもかかわらず、「歳をとったら子供の芝居を専門にやろう」とまで言っておられたくらいであった。
 元々は倉庫であったらしい建物を改良した稽古場で、時には、前述したように小さな公演もしたのだが、階段状にしつらえた客席の一番後ろの席に座ると、こもった熱で「首から上が暑い」というようなことがあった。しかし、私の芝居は元来が「小さな空間」向きであったせいか、私はそこでやるのが好きだった。「演劇集団・円」がそこを引き払うと決めた時は、ひどく残念な気がしたのである。
 ただし、この中野坂上は、「中野」というよりは「新宿」に近い。どちらかと言えば、「新宿文化圏」と言った方がいいだろう。私は住まいの関係から、方南町から近付いたが、多くの人々は新宿からやってきたのであり、「新宿の近く」と考えていただろう。「中野」と名がついているものの、JRの中野駅とは、かなり様相が異なっているのである。
 ところでそのJRの中野の方であるが、このあたりについて私はあまり詳しくない。ただ、私が師とする故・田中千禾夫氏が、現在の「中野ブロードウェイ」の北の方に住んでおられて、そこを何度か訪ねたことがあるだけである。
 住宅地の中の一軒で、最初私は白水社の編集者に案内されて行ったから間違えなかったが、その後一人でお訪ねした時は、何度も迷った。わかり難いところに(と言っても、迷ったのは私の方向音痴のせいかもしれないが)ひっそりと住んでおられたのである。
 千禾夫先生は元来が無口な人であったから、お訪ねした時も、ほとんど奥様の澄江先生とお話ししたような気がする。千禾夫先生と対座していると、いつの間にか澄江先生が現れて、たちまち話題をさらってしまうのである。
 「光源氏なんて、ただの女たらしじゃないの」という、澄江先生の持論も、ちょうどその時どこかで講演をしてきた後らしく、熱のこもった調子で聞かされた。「女の敵」だから、「やっつけなくては」いけない、と言うのである。
 澄江先生は、当時既にだいぶお年だったにもかかわらず、定期的に登山をしておられて、「私は骨が太いのよ」と、骨自慢をし、「この前慶応病院へ行った時、先生に死んだら骨格見本に私のを寄附しますって言ってきたから、その時は見に来てちょうだい」という話も聞いた。
 千禾夫先生をお訪ねしたにもかかわらず、澄江先生にうかがった話ばかり思い出すのは、それだけ話のボリュームが片寄っていたということだろう。千禾夫先生には、先生のフランス留学当時の話をうかがい、たしか「乞食」がどうだったか、というような話だったと思うが、うかつにも肝心なところは忘れてしまった。何しろ、こちらの話の間に、ひとことボソッと話して、そのまま黙ってしまうという調子なので、なかなか真意を把え難いのである。
 もうひとつは、「汎神論だよ」というひとことである。ただしこれも、どういう話の中に差しこまれたひとことか、判然しない。しかし、それを聞いてとっさに私は、「カトリックではないのか」と考えたから、「先生の信ずる宗教は?」(こんな直接的な質問は決してしなかったと思われるが)という文脈の中で聞かされたものかもしれない。
 その後何年かたって私は、カトリックに入信したという先生の、候文の葉書をいただいた。澄江先生が熱心なカトリック信者であり、かねてより千禾夫先生の入信を勧めておられるとうかがっていたから、「ああ、とうとう」と考えたが、その時再び「汎神論だよ」という先生のひとことが思い出され、それが「カトリックじゃない」という意味だったのか、ただ単に関心を持っているということだったのか、謎が深まったのである。
 千禾夫先生も澄江先生も亡くなって、目白のカテドラルで葬儀が行われた。澄江先生の骨が慶応病院に送られたかどうかは知らない。いつか中野駅で、或る婦人とすれ違いざまにあいさつをされ、誰かわからないままにこちらも頭を下げたのだが、暫く歩いてからそれが千禾夫先生の息子さんの奥さんであったことに気がついた。
 以来、中野駅周辺の中野にはほとんど近付いていないのであるが、こう書いたとたん、或ることを思い出した。千禾夫先生のお宅を訪問するもっと前、だから学生時代か、東京土建一般労組に勤めていたころ、私は仕事をするために喫茶店を渡り歩いていたのであるが、そのころ中野に「クラシック」という、名の通りの名曲喫茶があったのである。
 たしか、駅前から現在の「中野ブロードウェイ」(当時はまだなかったと思う)へ行く道の左手の路地を入ったところに階段があり、それを降りてゆくと、半地下のようなところにあった。当時の名曲喫茶というところがたいていそうであったように、古びて薄暗く狭く汚い店であったが、同時にそれが、居心地よく感じられたのである。
 そう度々ではなかったと思うが、何回か私はそこで仕事をした。「中野ブロードウェイ」への道から、曲がる路地がわかり難く、一度違う路地を曲がって店が見当たらず、「あ、失くなった」と思い、あきらめていたところ、別の日に正しい路地を曲がって見つけたりしたこともあった。
 しかし、そのうちに本当に失くなってしまったのである。名曲喫茶という、喫茶店のありよう自体が、何となく時代遅れになってきて、多くのそれらしい店が失くなりつつあったから、「やっぱり」という感じで私はそれを受けとめた。
 ところが、それから何年たったのだろう。高円寺に「座・高円寺」という劇場が出来て、その経営に日本劇作家協会が関わるようになり、私が高円寺に度々足を運ぶようになってからだから、少なくとも四十年近く間があいていたと言っていい。中野の「クラシック」が、高円寺に移転して、店を開いていたのである。
 高円寺には「ネルケン」という、これまた私が学生時代によく使っていた、これも名曲喫茶と言うべき店があり、この店も、「座・高円寺」が出来てから「どうなっているだろう」と思って行ってみたら「まだあった」という、嬉しい発見をしたばかりのところだったから、「クラシック」に対する期待も大きかったのである。
 店は、JRの高円寺の南口から、地下鉄の東高円寺の方向に少し下り、右へ入ったところあたり(ここも少々わかり難かった)にあった。やはり半地下のような造りで、店の中の感じも、テーブルや椅子も、中野のそれとよく似ていた。しかし、どうも居心地がよくないのである。「ネルケン」の場合は、ここも通いつめていたころと、四、五十年のへだたりがあったにもかかわらず、何のこだわりもなくすらすらとその空間に入りこめた。
 「クラシック」は、そうではないのである。調度も、空間のありようも、元のものとかなり似ているにもかかわらず、坐っていて思わずあたりを見まわしてしまう。難しいものである。
 かつて、同様に喫茶店で仕事をしていた知人に話したら、「汚れてないせいだよ」と言っていた。「汚れというものは、年代を経ないとつかないものだし、それが深くしみついていないと、我々もなじみ難い」と言うのである。
 もしかしたらそうかもしれない。「クラシック」も、調度や空間は高円寺に持ちこむことは出来たが、中野の「汚れ」までは、持ちこむことが出来なかったのだ。
(劇作家)







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