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評者◆内藤千珠子
名づけえない関係を求めて――誰が来ることも拒まない場所に生みつけられたつながりを描く「虹色ノート」(木下古栗、『すばる』)
No.3038 ・ 2011年11月19日




 わかりやすさが要求されがちな現在にあって、必ずしもわかりやすい物語に逢着するばかりではない小説の言葉は、読まれにくい。しかしながら、テクストとしての小説は、その属性ゆえに、たとえ多くの読者に受容されることがなかったとしても、書かれる意義をもっている。一枚の織物のようなものとして現代小説を見渡すとき、そこに共通して引用されるモチーフや風景が、見えにくい社会のからくりを描き直しているのが読まれるからだ。時代の文脈を論理化し、あたりまえのように消費されていく物語群に疑念をさしはさむ。小説の言説空間には、世界の標準を編み変える視線や声や行為が共鳴しあっているといえるだろう。
 近代が名付けてきた装置が色あせてきたことを象徴するかのように、小説のなかには、名前をつけることの難しい関係性が散見される。たとえば、木下古栗「虹色ノート」(すばる)には、職場の人間関係に疲れ切り、会社という場からはみだした三人の人間の関わり合うさまが展開される。三人を出会わせるのは、公園のベンチである。お昼時の会社の人間関係から離れ、自分が作った弁当をもって公園のベンチに赴く。その行為において梅沢美智子は、かつて同じベンチで弁当を食べることと、排泄することとを媒介につながった二人の男の物語を読むことになる。一週間ごとに、七色の弁当を用意し続ける男と、それを食べて脱糞する男。弁当を作る男は、「彼の便の色を自由自在に染められる」ことに夢中になり、それをノートに記録した。ベンチの座面の裏に貼り付けられたノートを偶然みつけた梅沢美智子は、記述された物語を読む。その結果、長年悩まされていた便秘が解消するという小さな出来事が、彼女の身体に訪れる。一人の男の滑稽な情熱に象られつつ、食物の摂取と排泄という身体の境界をゆるがす行為によって、偶然出会ったこの三人は独特な関係をとりもつというわけだ。この小説の冒頭には、宇宙空間から「日本のOL」という記号に欲情するロシア人宇宙飛行士の目線が設置されているのだが、最終場面で物語の枠が彼の視線に回帰しない点に配慮するなら、職場での記号化された位置から距離を取ろうとして出かけるベンチは、記号の呪縛を更新するためのトポスとして解釈可能だろう。誰が来ることも拒まない場所に生みつけられたつながりは、名前と記号に囲まれた生き方の結び目をほぐしてくれるはずだ。
 滝口悠生「楽器」(新潮)は、電車のなかから確かに見えたはずの池を、あてもなく探すために年に一度集まる人々の物語である。メンバーは毎年少しずつ入れ替わり、決まって目的地にはたどりつけないのだが、例年、現実感を欠いた非日常的な光景にめぐりあうことになる。名づけにくい関係によって結びついた登場人物たちが、今回の散策の結果行き当たったのは、誰に対しても開かれたようにみえる、珍妙な庭を備えた「久米老人」の家である。この家の出入り自由な雰囲気は、明瞭な関係性を欠いた曖昧なものとして表象されているのだが、しかしそれは残念ながら、久米老人を中心に、地縁や血縁を背景とした家制度的な共同体イメージを引き寄せずにはいない。名前から遠ざかった方向へと歩き出しながら、物語の後半部には、記号の拘束力に絡め取られた、見慣れた構造が居座ってしまう。
 典型的な関係や光景をずらすために、小説の言葉は名づけえない関係を重奏する。白岩玄「終わらない夜に夢を見る」(文藝)は、別れた恋人同士である二人が、もはや恋愛という名で呼ばれる関係になりえないことを了解しつつ関わりあう状態を物語化しているし、高橋陽子「二等辺と錯覚形」(文學界)では、主人公の女性は、ゲイである弟と、自分の恋人である弟の友人との間に生まれた三角関係を、薬への依存を断ち切る生の選択肢として選び取っている。いずれのテクストにあっても、記号化された関係に回収されない可能性が模索されているといえるだろう。
 吉井磨弥「七月のばか」(文學界)の主人公は、実家の営む性風俗店を継ぐべきかどうか、ぼんやりと迷いながら、店を手伝っている。彼が採用面接する女性たちは、売り物になるか否か鑑定される商品にすぎず、したがって、彼の頭にはどの女性の存在も記憶されない。小説の冒頭で、主人公は実家とは無関係な喫茶店で、ひとりの女性と会話している。とりたてて深い関係には至らない彼女の存在が、その七月に会話された蝉の死骸のイメージを契機に、小説の末尾でふと思い起こされる。曖昧に流れてゆく日常に鮮明な手応えをもたらす一瞬は、恋人とも友人とも家族とも呼べない相手との間に、やわらかな差異を刻むのだ。
(文芸批評)







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