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評者◆柏倉康夫
人の理解力には差がある――フランスの教育システムを、日本の「反面教師」として:『指導者はこうして育つ』を出版した柏倉康夫氏
指導者はこうして育つ――フランスの高等教育 グラン・ゼコール
柏倉康夫
No.3037 ・ 2011年11月12日
▲柏倉康夫(かしわくら・やすお)氏=放送大学名誉教授、フランス文学者。1939年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒。97年、フランス共和国国家功労勲章シュヴァリエ叙勲。著書に『マラルメ探し』『生成するマラルメ』『アンリ・カルティエ=ブレッソン伝』『思い出しておくれ、幸せだった日々を』など多数。
柏倉康夫氏の『指導者はこうして育つ――フランスの高等教育 グラン・ゼコール』(吉田書店)は、一九九六年に出版された『エリートのつくり方――グランド・ゼコールの社会学』(筑摩書房)の改訂版である。また、本書は、新たに出発した版元・吉田書店の第一冊目の書物でもある。 「この一五年でフランスの教育システムの八割は変わりませんでしたが、変わったこともあります。そこを加筆しました。現行の日本の教育の一番対極にあるのがフランスだと思います。フランスが教育を通してどういう人間を育てようとしているかを知ることは、日本にも「反面教師」としてきっと役立つだろうと思って書きました。」 ではどこが変わったのか。 「フランスの教育では国語と哲学の授業を重視します。それを通してものをどう考えるか、その方法を教えるのです。これは二百年変わっていません。とはいえフランスでも、少数のエリートに社会の未来を託すことに一般の国民が満足するかどうか、その不満が高まっています。フランスでは、小学校から一般の大学まで国家予算で賄うので、無償です。ただ今までのように、少数のエリートを養成するためにグラン・ゼコール(大学校)に傾斜投資していれば済むのかどうか。」 経済的格差の問題は、現在、更に深刻な世界的な大問題になっているが、他にも問題はないのか。 「EUになってから、教育も国境を越えた国際競争が始まっています。学ぶ側の選択の幅がひろがったのはいいことだと思いますが、「グローバリゼーション」を誤解すると「根無し草」が生まれる危険があります。EUの機関が集中するブリュッセルやストラスブールで生活するEU官僚の子供たちは、フランス語、ドイツ語、イタリア語などが飛び交う環境に何の抵抗もない。しかし、それできちっとしたベースをもった人間が育っているとは必ずしも言えません。ユネスコの調査では、十一歳頃までは、ある国語で教育されることが必要だとしています。国という単位は経済的には小さすぎるとして、EUはユーロという単一通貨を導入しましたが、文化的にはEUの枠組みは大きすぎるのではないか。文化――その象徴が言語ですが――はもっと地域的なものなのではないでしょうか。」 日本との違いは、どういうところにあるのだろうか。 「『ちいさな哲学者たち』というフランスの映画があります。三~五歳の幼稚園児に「哲学」の授業をするという試みを記録したドキュメンタリーです。最初はとまどっていた子供たちも、「愛」や「自由」について考え、お互いの考えを言い合って、言葉で刺激しあう。そこから対話が生まれてきます。頭を働かせて考え、それを自分の言葉で表現するようになる。こうした対話を通して、子供たちは、「人はみんな違う考え方をする」ということを学びます。これがフランスの教育の一番の基本です。日本では、人は同じように考えるということが暗黙の前提になっている。「目にものを言わせる」ことや「暗黙の了解」を私は否定しませんが、他の文化ではそれは通用しないと言いたい。」 「ある意味で教育の「成果」は力、権力になる。フランスでは一般の大学と少数のグラン・ゼコールの出身者では初任給から違う。どこを出たかがブランドになる。その場合、教育上の特権階級をつくらないためには、「公共」に奉仕する精神をどう育てるかが問題です。これには特効薬はなくて、幼いころからあらゆる機会に教えこまないといけない。フランスの公教育の骨格は大革命のときにつくられましたが、前提として、「人の理解力には差がある」という発想がありました。同時にフランスの社会では、学校の成績が万能ではなく、家具を直す技術を持っている人や、穀物を上手に育てる人は、その能力によって社会的に十分尊敬されてきました。それが崩れたとき、教育的資産を身につけた者が得するようになったらどうなるのか。みなが社会のなかで役割があるのです。そのことが忘れられがちなのが大きな問題です。」 柏倉氏は、S・マラルメの専門家でもある。 「マラルメは、「この世界は一冊の本に到達するためにある」と言いましたが、まさにいま、インターネットによってそれが実現しつつある。私たちは必要な情報を瞬時に得られる環境を生きています。しかし考える方法を身につける、「頭を鍛える」という意味では、検索機能を使って欲しい情報を簡単に手に入れることがはたして有効かどうか。一見むだに見える寄り道をする機会が大切なのではないでしょうか。つまり考えるためには、本を読むときのように、最初から順を追ってリニアーに(線のように)読み、考えることが必要なのだと思います。「電子化」の本質が、Aから、BとCを飛び越えてDへ行く効率の追求にあるとすれば、それは思考能力そのものを育てることにはならないでしょう。」 教育とは、未来をつくることそのものでもある。 「3・11以降、なまじっかのリーダー、「エセエリート」では私たちはどこへ連れて行かれるかわからないと骨身にしみて痛感しました。情報は信用できず、一人一人が線量計を持って生活しなければならない厳しい環境におかれています。そのためには、放射能とは何か、この数値は安全かなどを勉強しなければならない。それを知識として持ったうえで行動しないと子供を守れない。その意味で、考える習慣を身につけるチャンスでもあります。知識は学校の成績を上げるためではなく、自分の安全や安心を獲るためのものなのです。上から「安全・安心」は降ってこない。私はこれから塾というか寺子屋をつくろうとしているのですが、自分たちで学ぶ組織が地域にたくさん生まれてくることを期待します。」 ※吉田書店〒102‐0072東京都千代田区飯田橋1‐6‐4幸洋アネックスビル3F TEL03‐6272‐9172 FAX03‐6272‐9173 www.yoshidapublishing.com |
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