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評者◆添田馨
料理と詩、そして震災後――私たちは私たちの言葉を、これからどうデザインしていけばいいのか
No.3037 ・ 2011年11月12日




 私は家から車で十分ほどのところにあるそのカフェが好きだった。私が初めて言いようのない感動を覚えた店だったからだ。その店で食べたランチの味が忘れられなかった。麻の実や季節の野菜をふんだんに使ったハンバーガーとコーヒーのセットだった。野菜を使ったハンバーガー? そうなのだ。このお店は、旬の地野菜を顔のみえる生産者から直接仕入れてきては、あまりくどい味付けはせず、素材の美味しさを目一杯ひきだして魔法のようにそれを一皿の料理に生まれ変わらせてしまう工房といってよかった。その店が営業を止めてしまった。理由は分からない。だが思い当たることはひとつしかなかった。
 その店の料理にはレシピ本もある。例えば秋野菜の頁には、ブロッコリーとカリフラワーのアンチョビぺペロン、里芋としいたけと赤ねぎの小松菜ペースト和え、きのこのマリネのガレット、赤大根とセロリのアチャール……、料理の名前がこんなにも美しいことを、私はこれまでほとんど意識することなく過ごしてきた。だがそれらは空疎な名辞ではなかった。新鮮で食べることができる、コロコロした実体をもった言葉の群だった。
 だからというわけではないが、一皿の野菜料理がその時の私には〈詩〉に思えた。そこは自然の一部を切り取ってきた小空間だったが、皿にはまさしく「非有機的身体」(マルクス)としての自然、すなわち世界の全体性の小さな複製が美しくデザインされて載っているように思われた。そのままでは食べられない世界を、美味しく食べられるように加工する技術が料理の本質なら、それは〈詩〉の本質へとまっすぐに繋がっていると私は思う。
 この店が閉店した事態は、私の中にどうしても福島の原発事故との関連を想起させてしまう。私たちの震災後とは、およそこうした出来事が普遍化した状況を指す以外のなにものでもない。私たちはまだ、毀損されたものの総体すら掴みきれていない。私たちは私たちの言葉を、これからどうデザインしていけばいいのか。〈詩〉に課せられた課題は重い。
(詩人・批評家)







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