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評者◆阿木津英
ゲ・ゲ・ゲ・ノ・ゲ・ノ・ゲ――『短歌新聞』『短歌現代』終刊と、過ぎ去ったもの
No.3035 ・ 2011年10月29日
大きな激動的な時代の変わり目に立っている。短歌界においても、ひしひしとそう感じられる。昨年の玉城徹、河野裕子の逝去に続いて、今年の石田比呂志の逝去と主宰誌「牙」の終刊、「新アララギ」主宰者宮地伸一の逝去、また歌誌「林間」の終刊など、訃報と歌誌終刊のニュースが相次いだ。
さらに、このほど、58年間続いた『短歌新聞』が12月号をもって終刊すると報じられた。同新聞10月号社説によると、28年間続いた月刊誌『短歌現代』も同じく終刊、約7000点の歌集・歌書を刊行してきた短歌新聞社(社長石黒清介、95歳)も、残務整理が終り次第たたむという。一時代が過ぎたのだ。 歌誌『星雲』9月号巻頭の林田恒浩エッセイ「長沢美津と方代さん」が、ほぼ30年前の歌壇と短歌新聞社主催パーティの雰囲気を描いている。十代で歌を始めた林田は、若いうちは「基本をしっかり身につけて、歌集なんか五〇歳になってからで良い。歌壇を物欲しげにうろうろするなど軽薄の極み」という結社に所属して、歌壇パーティに出ることはまれであったという。同じころ、私は短歌総合雑誌の新人賞を受賞して翌年第一歌集を出版したが、そういう「一発屋」的登場の仕方に眉をひそめる空気が当時たしかにあった。 さてその日、飢えた鴉の如く中央の料理に群がっては声高なお喋りに夢中であるのは立食パーティの常。何人かの挨拶ののち和服姿の長沢美津が壇上に登ったが、会場を見回すばかりでなかなか口を開かない。そうしてやおら「「おーだ・ま・り・なさい!」と全員を一喝。まさにすさまじい大怒声にたちまち会場は水を打ったように静まり、私などようやくありついた肉片を口から落とすほどに肝をつぶした。それからの長沢さんの話のながかったこと」。長沢美津の小柄な風貌を思い浮かべて、私は腹をかかえて笑った。 次に登場したのが白い麻の背広の山崎方代、やはり会場をにらんでいる。「ゲ・ゲ・ゲ・ノ・ゲ・ノ・ゲ、だ。おしまい!」、それだけ言って「肩をいからせて平然として壇を下りていった」というのである。 いつのまにか私たちは歌人の歌人たる誇りを喪って「ゲ・ゲ・ゲ・ノ・ゲ・ノ・ゲ」になっていやしないか。そう思って、ぞっとする。 (歌人) |
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